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英詩鑑賞

Mother Goose を読む

桃李歌壇同人: 鷲津 名都江

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その1

 「ヘイ ディドル ディドル」

 これはマザー・グースのナンセンスな詩の中で、最も有名なものです。「猫がバイオリンをひき、牝牛が月を飛びこえて…どうしてこれがおもしろいの?」と聞かれることがよくありますが、確かに日本語訳だけを見るとその発想の突飛さだけが目立ちます。しかし英語の原詩を声に出して読んでみると、同じ音の言葉が調子よく組みあわされていて、そこにおもしろさが生まれているのに気づくでしょう。この詩では一行目のディドルと二行目のフィドル、三行目のムーンと六行目のスプーン、四行目のラ−フトゥ五行目のスポ−トゥがその組み合わせで、韻を踏んでいます。マザー・グースはイギリスではナーサリー・ライムと言われるように、ライム(押韻詩)なので韻を踏むことによってなんせんすなおもしろさが出てくるのです。日本の落語のオチや駄洒落、あるいは「日光結構コケコッコウ」のような言葉遊びが、ナンセンス詩の命とも言えるでしょう。

「ハンプティ・ダンプティ」

 ハンプティ・ダンプティと言えば卵の形をしたキャラクタ−として日本でも馴染みになってきましたが、英語圏では知らない子はありません。しかしこれは“卵の形をしたキャラクタ−”ではなく、“卵”そのものなのです。これはマザー・グースの詩の中でも一番有名ななぞなぞで、詩の後に「ハンプティ・ダンプティってなーに?」「たまご!」というやりとりが昔はあったのですが、今やその答は周知の事となり、もはやなぞなぞとしては通用しなくなっているだけなのです。詩の内容から転じて、四行目の'all the king's men(王様のすべての家来)'という言葉は「壊れたものは元には戻らない」、つまり「覆水盆に返らず」の意味で、英文の新聞の見出しや小説の中でも非常に多く引用されています。 ハンプティ・ダンプティは「アリス」の中にも出てきますが、この詩で既に馴染みだったキャラクタ−を、作者のルイスが物語の中に登場させたという訳です。念の為!

「おばあさんとブタ」

 マザー・グースはご存知の通り伝承のものですので、その出所はいろいろです。今までにご紹介したようなナンセンス詩もあれば、なぞなぞもあります。大人の歌謡からきているものもありますし、積み上げ話もあります。積み上げ話とは、最初のセンテンスの上にどんどん事柄が積み重なって最後にはとても長いセンテンスとなるもので、「ジャックの建てた家(This is the house that Jack built.)」が一番知られていますが、「ジャックの建てた家」の原形が今回取り上げた「お婆さんとブタ」と言われています。この話にも色々なバリエーションがありますが、掲載されているのは話の一部です。これだけでは分りにくいので、ポピュラーな筋を簡単にお話しましょう。
 部屋を掃除していたお婆さんは6ペンス銀貨を見つけたので市場へ行って豚を買いましたが、帰り道で豚は動こうとしなくなりました。そこでお婆さんは少し先へ行くと犬に出会ったので、「ワンちゃん、豚に噛みついておくれ、豚はさっぱり動こうとしないのだよ」と言いましたが犬は言う事を聞きません。そこで又先へ行くと棒きれに出会い…という具合にお話を積み重ねて、この絵の猫の所まで来たのです。さてこの後、猫の願いをお婆さんがかなえたので、猫は鼠を殺そうとし、鼠はロープをかじろうとし、ロープは肉屋を吊そうとし、肉屋は牛をばらそうとし、牛は水を飲もうとし、水はたき火を消そうとし、たき火は棒きれを燃やそうとし、棒きれは犬をぶとうとし、犬は豚に噛みつこうとしたので豚はやっと動き出して、お婆さんは家に帰ることができました。めでたしめでたし、というわけです。

「ハートの女王」

 この後ハートの王様がタルトを御所望になり、ジャックは盗みがばれてお仕置を受け、「もう、しません」とタルトを返して謝って一件落着となる第二連が続きます。このハートの女王とは勿論トランプのハートの女王のこと。18C末にこの詩がある雑誌に載せられた時には、スペードやダイヤ、クラブの女王・王・ジャックを歌った部分も続いてあったのですが、ハートの女王達だけが「不思議の国のアリス」に登場してすっかり有名になったこともあって印象強く、ナーサリー・ライムとしても生き残ってきたようです。
 マザー・グースによく登場する代表的なお菓子は何と言ってもパイですが、“ハートの女王と言えばタルト、タルトと言えばハートの女王”と英語圏の人達がすぐ思い浮かべるのはこの詩の影響と言えましょう。この頃は日本でも美味しいタルトが色々と出回っていますので説明の必要は無いとは思いますが、タルトとは小さめのフルーツパイのことです。

「トウィードルダムとトウィードルディ」
 “トウィードルダムとトウィードルディ”の双子も、ハンプティ・ダンプティと同様「鏡の国のアリス」に登場して一躍有名になったマザー・グース出身のキャラクターです。 このマザー・グースは、18世紀に激しく対立していた二人の音楽家たち(一人はかの有名なヘンデル)の事をイギリスの詩人ジョン・バイロムがからかって作った詩が元になっているとも言われています。“トウィードル”とはバイオリンなどのキーキーした高い音のことであり、“ダム”は音が低く“ディ”は音が高いという語感がありますが、バイロムは“トウィードルダムとトウィードルディの間にそれ程の違いが有るだろうか”と二人の音楽家たちを譬え、その違いは大したことがないと表現したのです。
 転じて、“トウィードルダムとトウィードルディ”は代わりばえしない二つの物を指したり、“五十歩百歩”“どんぐりの背比べ”といった意味でも使われるようになりました。

「かごに乗ったおばあさん」
 マザー・グースには“おじいさん”や“おばあさん”の詩がいろいろあり、初めてマザー・グースの分類を試みたJ.O,ハリウェルが“おじいさんとおばあさん”という項目を設定しているほどですが、なぜかおばあさんの詩が圧倒的に多いのです。
 "There was an old woman"で始まる詩は20篇以上ありますが、その中でもこのおばあさんは非常によく詩集や絵本に登場します。かごに乗せられ、箒を手にし、空高く投げ上げられて蜘蛛の巣を払いに行くこのおばあさんは、その発想と情景がとても楽しいからでしょうか、大人にも子どもにも広く愛されています。投げられる距離が月の高さの10倍、19倍、70倍、90倍、最も高いものは99倍などとなっていたり、古いバリエーションでは“毛布”で空へ投げられたとなっているものもあります。しかしイメージが湧きやすいからか、今では“かご”で“17倍”というこのバリエ−ションが定着してきているようです。 

「土曜の夜の お仕事は」

 これは“私の大事な人が明日の朝には金の結婚指輪を携えて…”と、いそいそと結婚式前夜に髪の手入れをしている乙女心をうたった詩で、明らかに、子供達の中から生まれてきた詩でも、親が子供のために歌って聞かせたものでもありません。大人の歌謡の一部が、いつの間にか変形されて子供部屋に入ってきて定着したものの一つです。
 というのもイギリスの上流階級では、17〜8C頃には子供が小さな大人として扱われて夜遅い酒宴にも出席しましたし、 19Cには子供達の世話は親が直接せずに子供部屋でメイドや養育係がするのが常識となっていました。ですから、当時のはやり歌をパーティーで、あるいはメイドたちが口ずさむのを子供達が耳にし、その一部や変形したものが伝承童謡として残っていったのです。わらべうたと違った広がりをマザーグースに感じるのは、こうした大人の感情や人間臭さを扱った詩が多く含まれている事も一因と言えるでしょう。

「掛け算 いらいら」

 マザー・グースは子ども、特に乳幼児たち対象の詩ですから、子どもたちが楽しみながら数やABCを覚えられるような教育的な詩や、この詩のように勉強は苦手とか学校へは遅刻ばかりなどという勉強に対しての子どもの心をうたっているものが多いような気が何となくしますが、実際には教育に関する詩の占める割合は意外に少ないのです。
 この詩も絵本やナーサリー・ライム集ではあまり見掛けません。1570年の写本に出ていることは確認されていますし昔から親しまれてきたもののようですが、聞いただけで頭がいたくなりそうな単語が次々と出てくるからでしょうか。ちなみにpracticeとは、ここでは“テスト”と意訳されていますが、イギリスの複雑なポンド・ヤード法に基づく度量衡の掛け算です。勉強しても勉強しても複雑な計算法が現われてきて気が狂いそうだという算数ぎらいの子どもの気持、時代を経てもオカシクて辛くて…とても分かる気がしますね。

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