ささめごと(天理本)上巻

下巻    桃李百韻の部屋 連歌俳諧論 談話室 桃李歌壇

上巻目次

1  2 連歌の歴史 3 菟玖波集について 4 新古今集以後の歌の歴史 5 昔の連歌と中頃の連歌 6 その相違点について
7 幽玄躰について 8 修行の方法 9 歌と連歌の関係 10 発句について 11 秀句について 12 歌の姿について
13 句ごとに祝言をすること 14 制作の時間 15 一躰のみを修行すべきか 16 師とすべき人 17 友を選ぶこと 18 作品の大衆性
19 名声について 20修行の心構え 21 すらすらと稽古すべきか 22 世上に名声を得べきか 23批評の難しさ 24 名人と同席すること
25 不断の修行 26 他と異なった句の意義 27 名人の句が難解ということ 28 凡俗なる句 29 同類について 30 いりほがについて
31 未来記 32 無心所著 33 親句疎句 34 篇序題曲流 35 六義について 36 連歌合について
37 連歌の点について 38 晩学について 39 この頃の連歌の有様
 

 世の中のはかなきむつ物語の折ふしには、踏み知らぬ和歌の浦わのくらき道まで互ひに忍びあへず、うち出でぬる言の葉のすゑ、うつゝ心なき事に侍れども、これは伏屋がしたのさゝめごとなれば、壁の耳もおぼつかなからず。人は一夜の程にも八億のことを思ふとなれば、跡なし事につれなしづくり侍るも、罪深きわざなるべし。又、露ばかりもかたへの人の上にはあらず。たゞふたりが此の道に踏み迷ひぬるたづたづしさを、たがひに語り侍るなり。

連歌の歴史

 やまと歌の道は、昔より代々のあつめに、伊勢の海の渚の玉のかずかずをみがき、和泉の杣木のしなじなをけづりつくし侍れば、今さらのことにあらず。連ねる歌もおなじ道に侍れども、近き世より尋ねいりぬれば、筑波山のこのもかのも奧殘りて、ほのぐらきかたのみ多く侍り。まことに、歌の道は天の浮橋の末とほく、世々につぎて賢き人の踏み知らせ侍れば、いかなる誰かたどり侍らむ。連ねる言の葉も、萬葉に書きあつめし行くへ代々に朽ちせず。その末、水無瀬川より流れ出で、色をそへ數を連ぬることとぞなり侍る。かの百年あまりの末つかた、世にふたりみたりの賢き色好み出でて、盛りにもてはやし侍るより、道ひろき事になれるとなむ。又、此の末に、名高き聖出で給ひぬ。彼の御代に、ひとりの賢き色好み殘りて、ひめもすに夜もすがら御床の末をあたゝめて、さまざまの道の光を定め給ひしかども、一代の御事なれば、光もうすくや侍りけむ。

菟玖波集について

 さて、その二條の名高き聖の御代に、かの賢き色好みに仰せ合はせ給ひて、筑波集とて、いみじきさまざまの姿をつくして集めおき給へる、此の道の光なるべき物に侍るやらん。かのつくばの言の葉は、古今集にずむじて、道の光にこよなうおぼしめし置ける物なれば、此の道に心ざしのともがらは、此ののさまざまの形に心をとゞめて、尋ね知るべき物と見え侍り。しかはあれど、中つ比より名をだに知らぬものになり侍るとかや。されば、しるべなき道になりて、たがひに心のまゝの事になり侍るとなむ。

新古今集以後の歌の歴史

 又歌の道も、中つ比よりは品くだり侍るよしうけたまはる。さもなり行きぬることやらん。古人の申し侍るは、水無瀬の宮の御代にぞ、古にもをさをさこえたる歌の聖、數を盡くしていまそかりける。さまざまの姿をおこし、道の奧をきはめ、世にときめき給ひしこと、ひとへに此の御時と見え侍り。しかはあれど、程なく後の嵯峨の院の御比より、言の葉の露も色うつろひ、心の花も匂ひすくなくなり侍るとなむ。それよりこの方はひたすらの事にて、あさはかになり行き侍りしを、源の金吾と申す人、冷泉の黄門につき給ひて、年久しく此の道を學びて、古のことをも知り、和歌の道をもおこし給へるとなり。かの聖に賢き和尚生まれあひ給ひて、いときなきより年たかきまで、言葉の林の奧をたづね、心の泉の底をつくして、水より出でたる氷のごとく淺き深きを照らし給へり。彼の光や薮しわかざりけむ。又、そのかみの心言葉をも、世にひろく知れることになり侍るとなむ。

昔の連歌と中頃の連歌

 彼のふたりみたりが賢き比の言葉の色と、中つ比の花をとぶらひ侍るに、太山の烏・河邊の鷺のごとく見え侍るとなむ。さもかはり行き侍るやらむ。先達申し侍りし。まことに、いかなるひがめにも、遥かにこそかはりて見え侍れ。昔の人の言葉をみるに、前句に心をつくして、五音相通・五音連聲などまで心を通はし侍り。中つ比よりは、ひとへに前句の心をば忘れて、たゞ我が言の葉にのみ花紅葉をこきまずると見えたり。されば、つきなき所にも月花雪をのみ並べおけり。さながら前句に心の通はざれば、たゞむなしき人の、いつくしくさうぞきて、並びゐたるなるべし。前句の取り寄りにこそ、いかばかりあさはかなる言葉も、あらぬらうたき物には成り侍るものなれ。

その相違点について

 昔の人の言葉に、中つ比の心ざまかはれるとは、いかさまに侍るやらむ。

 古人の句は、言葉姿をばかたはらになして、心を深く付くると見え侍り。前句の取捨の心かしこく侍り。近比はたゞ言葉どもを取り分けて付けたるのみなり。

      吉野山二たび春になりにけり

         年のうちより年をむかへて 後鳥羽院

此の比の句ならば、吉野付かずとや申し侍らん。

       さゝ竹の大宮人のかりごろも

         一夜はあけぬ花のしたぶし 定家卿

今の人の句ならば、大宮人狩衣不付と可申哉。

       結ぶ文にはうはがきもなし

         石代のまつとばかりはおとづれて 順覺

上書付かずと申し侍るべし。

       さほ姫のかつらぎ山も春かけて

         かすめどいまだ嶺のしら雪 家隆卿

さほ姫・かつらぎ、なしと可申候。

         結ぶの神にすゑも祈らむ

      いく夜とも知らぬ旅ねの草まくら 信照

神・祈る、付け落したるなるべし。

         舟こぐ浦はくれなゐの桃

      唐國の虎まだらなる犬ほえて 周阿

舟付かぬなるべし。

         うはぎにしたる蓑をこそまけ

      かりそめの枕だになき旅寢して 良阿

此の比ならば、ひとへに前句に付かぬなるべし。

         馬おどろきて人さわぐなり

      はや川の岸にあたれるわたし舟 救濟

馬付かずと申し侍るべし。

此等句ども、前句捨所かしこきゆゑに、最上秀逸なり。如此たぐひ不可勝計、しるすにいとまなし。つくるよりは捨つるは大事なりといへり。

幽玄躰について

 さても此の道は幽玄體を中にも心にとめて修行し侍るべき事にや。

 古人語り侍りし。いづれの句にもわたるべき姿なり。いかにも修行最用なるべし。されども、昔の人の幽玄體と心得たると、大やうのともがらの思へると、遥かに變はりたるやうに見え侍るとなむ。古人の幽玄體と取りおけるは、心を最用とせしにや。大やうの人の心得たるは、姿の優ばみたる也。心の艶なるには入りがたき道なり。人も姿をかいつくろへるは諸人の事也。心ををさむるは一人なるべし。されば、古人の最上の幽玄體と思へる歌ども、この比は分明にや侍らざらむ。

      幽玄體歌

天智天皇

  秋の田のかりほの庵のとまをあらみ我が衣手は露にぬれつゝ

人麿

  さゝの葉は太山もそよに亂るなり我は妹おもふわかれ來ぬれば

元良親王

  わびぬれば今はたおなじ難波なる身をつくしても逢はむとぞ思ふ

伊勢

  忘れなむ世にもこし路のかへる山いつはた人に逢はむとすらん

曾禰好忠

  山里を霧のまがきのへだてずばをちかた人の袖はみてまし

定家卿

  忘れぬやさは忘れけりあふことを夢になせとぞいひて別れし

慈鎭和尚

  誰ぞこの目をしのごひてたてる人ひとの世わたる道のほとりに

おなじき連歌詮用分別の事、

  ほのぼのと霞に花のにほひきて

  そことなくおぼろ月夜に雁なきて

  ゆふ暮のすゝきを風やわたるらむ

此等のたぐひは、不堪の人の主はかはりて、句は日々座々にもてはやす姿也。

  いたづらに花のさかりも過ぎぬらん 良阿

  いつ出でておぼろに月の殘るらむ

救濟

  古郷の一むらすゝき風ふきて 救濟

如此の句は、なほざりの口よりは出でがたくや侍らん。金と滅金鍮石の分別肝要なるべし。又、たくましき句にも此の類あるべし。

  ねりそがは柴をまくずの花かづら

  けだものはつねに苔路を走りきて

これらの句は、口心に品なき無下の人の句なり。

  みどり子の額にかける文字を見よ 良阿

  いたりけり谷にあかつき月に秋  宗砌

此の句は又手だりの物なり。ことに自讚の句どもなるとかや。さては、優ばみたる句とまことに艶なる句と、あらきとたくましき、分別最用なるべし。心言葉すくなく寒くやせたる句のうちに、秀逸はあるべしといへり。古人の自讚の歌にひき合はせて思惟すべし。言葉ふしくれだちつまづき、姿ふとりあたゝかなる句のうちには、ありがたく侍るべし。修行最用なるべしといへり。

       古人自讚歌少々

後鳥羽院

  見るまゝに山風あらくしぐるめり都もいまや夜寒なるらむ

  おもひ出づる折りたく柴の夕煙むせぶもうれし忘れがたみに

式子内親王

  桐の葉もふみ分けがたくなりにけりかならず人を待つとなけれど

  それながら昔にもあらぬ秋風にいとゞながめをしづのをだまき

後京極攝政

  いはざりきいま來むまでの空の雲月日隔ててもの思へとは

慈鎭和尚

  おもふことなど問ふ人のなかるらむ仰げば空に月ぞさやけき

  深山路やいつより秋の色ならむ見ざりし雲の夕ぐれの空

通光

  あさぢふや袖に朽ちにし秋の霜わすれぬ夢をふく嵐かな

俊成卿

  しめおきていまはと思ふ秋山の蓬がもとに松蟲のこゑ

俊成卿女

  ふりにけり時雨は袖に秋かけていひしばかりを待つとせしまに

宮内卿

  かた枝さすをふの浦なし初秋になりもならずも風ぞ身にしむ

定家卿

  春の夜の夢のうき橋とだえして峯にわかるゝ横雲のそら

  年も經ぬ祈るしるしは初瀬山をのへの鐘のよその夕暮

家隆卿

  昨日だにとはむと思ひし津の國の生田の杜に秋はきにけり

  おもひいる身は深草の秋の露たのめしすゑや木がらしの風

雅經卿

  うつり行く雲にあらしの聲すなり散るかまさきの葛城の山

寂蓮

  かつらぎや高間の櫻さきにけり立田のおくにかゝる白雲

具親

  木枯やいかに待ちみん三輪の山つれなき杉の雪折のこゑ

秀能

  おもひ入る深き心のたよりまで見しはそれともなき山路かな

西行

  津の國の難波の春は夢なれや蘆のかれ葉に風わたるなり

  年たけて又越ゆべしと思ひきやいのちなりけりさ夜の中山

此等の類、たとひ心を得ても、最上の秀歌と見知らむ事はかたくや侍らむ。色どりかざらで心言葉ようをむなる故に、とりよりかたかるべし。如此の名歌しるすにいとまあらず。

修行の方法

 道のさかひに入り侍らん、いかばかりの螢雪をあつむべき事に侍るやらん。

八雲の御抄にも、稽古といへばとて、あながちに天竺もろこしの文をつくせにもあらず。萬葉・古今集・伊勢物語などのうちなるべし。ふるまひの艶に言葉のけだかきは源氏・狹衣なり。此等を少しもうかがはざらん歌人は無下の事、と古人も申し侍り。萬葉集をば、此の比のかたつ人は、心言葉こはくてつやつや心得ぬ物とて、もて出でぬさまなり。梨壷にて讀みとき假名になし侍れば、いかなる女房なども、もてあそぶものとこそ申し侍れ。さまざまの言葉・艶なる歌、こよなう侍るといへり。定家卿は、「寛平以往の歌に心をかけば、なでう道にいたらざらむ」と常に申し給ひしとなむ。萬葉の歌の事なるべし。

 彼の卿、道の稽古の事さまざまに記し給へるに、「先づ二とせ三とせは、のどやかに和らかなる女房の歌をまなびて、其の後、濃かなる體・一ふしの體などをまなぶべし。又彼の後、有心體とて心こもりたる體、長高き體とてやせさむき體をまなび、これをよみつのりて強力鬼とり拉ぐ體をまなべ」となむ。彼の卿は、鬼とり拉ぐ體を歌の中道と申し給へるとなむ。されども、「これを無上といはば、世みな二なうまなぶべし。至らぬ人のまなばば惡しかるべし」とて祕し給へるとなむ。又、「やさばみ無文にのどやかなる歌を、秀逸と大やう心得たる人おほし。あたらぬこと」と申し給へり。

 此の道は、「花と實とを並べて學ぶべきこと」と見え侍り。古今集にも、「その實はみな落ち、その花ひとり榮えたり」といふ。又、「人の心の花になり行く」といへり。又、「大むね艶をもととす。歌を知らざるなるべし」といへり。いづれも、まことなきかたになり行くをそしる言葉なり。其の比だにかく申し侍れば、いまの世には實はひとつも殘らざるらむ。

歌と連歌との関係

 かたつ山里などに連歌を好む人、歌を嫌ふあり。「歌をよめば此の道損じ侍る」などと申す。如何。

 先達語り侍りし。歌をにくみむずる作者の修行こそ心にくゝも侍らね。いかにも秀歌を胸におきて、その面影を句ごとに含むべきことにや。あまさへ、よろしき詩をも朝夕吟じ合はせよと申し侍り。古人の句は歌の面影そひぬる故に、しな・ゆう・たけ・らうたく、言はぬ心見え侍り。元より、問答體の歌をくさりて、百韻五十韻となし侍る物なれば、露ばかりも隔てなき道なるべし。近來ひとへに歌の心をうかゞひ知らぬ人の、二つの道に思ひ分けたるより、連歌の眼は失せて、ただふつゝかに並べおきたる物に成り行き侍り。

10 発句について

 かたつほとりの人の申し侍るは、發句は大むね長高く大やうにするすると一ふしに侍るを本體と申し侍る。さるべき事にや。

古人の語り侍りし。まことに、發句は歌の卷頭になぞらへたる句にて侍れば、大やうに優々とさしのびたるものなるべし。然れども、撰集などこそさやうにも侍れ、百首五十首以下の卷頭は、時により事によると見えたり。さまざまの風情一かたならず。發句もおなじ題にて日々夜々のことなれば、一つかたちをのみ作り侍らんも、をさをさおろかなるべし。古の發句は、さのみ姿をつくし沈思せしとは見えず。されども、一かたをのみまもるとにはあらず。此の比は卷頭・發句とて、これ二つをのみ世にもてあつかひ侍れば、晴れがましく成りて、人の句にいひ合はせじと、色々に成り行き侍るにや。唐にも文體三度變はるといへるとなむ。

    卷頭歌

小大君

  いかに寢ておくる朝にいふことぞ咋日をこぞと今日をことしと

定家卿

  しらざりき山より高きよはひまで春の霞のたつを見むとは

正徹

  八幡山三つのころもの玉手箱二つはたちぬ雲よ霞よ

     發句

  鳴けやけふ都を庭の郭公 二條太閤

  いまこゝを郭公とて通れかし 同

  吹け嵐紅葉をぬさの神無月 救濟

  あなたふと春日のみがく玉津嶋 周阿

此等の卷頭・發句、そゞろきて見え侍り。

11 秀句について

 かたへの人の中に、秀句を好み嫌ふともがらさまざまに侍り。如何。

 秀句をば古人も歌のいのちといへり。いかにも嫌ふべきにあらず。秀句の名歌、其の數をしらず。此の道不堪のともがらは、秀句などをも作り得ぬものなり。又、あまりにかいりき過ぎて、毎々秀句をのみする人あり。深入りしてひとへに好むと見え侍るは、うるさくや侍らんとなり。

後鳥羽院

  手に結ぶ岩井の水のあかでのみ春におくるゝ志賀の山ごえ

順徳院

  ともしする高圓山のしかすがにおのれ鳴かでも夏はしるらむ

定家卿

  こぬ人をまつほの浦の夕なぎに燒くや藻鹽の身もこがれつゝ

同卿

  いづくにか今夜は宿をかりごろも日も夕暮のみねの嵐に

家隆卿

  風そよぐならの小川の夕暮はみそぎぞ夏のしるしなりける

同卿

  あまの河秋の一夜の契りだに交野に鹿の音をやなくらむ

此等の名歌しるすにいとまあらず。

     おなじく發句

  下紅葉塵にまじはる宮ゐかな 救濟

  菅の根の長月殘る夕かな   周阿

およそ秀句なくては歌・連歌作りがたかるべし。されば、いのちと申し侍り。

しかはあれど、秀句に必ず凡俗なることおほしとなむ。分別最用なるべし。

12歌の姿について

 又、かたつ人の申し侍るは、美しくすなほに和らかなる體を、無上のやうに申し合ひ侍り。さ樣の句を最用とまもるべくや。

 大むねすなほにおだしく侍らん、まことの道なるべし。ことに不堪のともがらのためよろしかるべし。されども、こゝをこととまもれば、我が力をいれぬやうに成り行き侍るにや。定家卿も、「やはらかに無文なる歌を、秀逸と心得たる人おほし。更にあたらざること」と申し給へり。さてはさまざまのかたち修行にうつりゆくべき道なるべし。古人、歌の姿どもをおほくの物にたとへ侍り。

 水精の物に琉璃をもりたるやうにといへり。これは寒く清かれとなり。

 五尺のあやめに水をかけたるごとくにといふは、ぬれぬれとさしのびたる也。

 大内裏大極殿の高座にて、ひとりなしても、うてぬやうにといふ。たくましく強力にといふなるべし。

 大なる時は虚空もせばく、小さき時は芥子のなかにも所あるやうに、淨藏・淨眼の神變のごとくともいへり。

 詩にも、賈嶋はやせたり、孟浩はさむしといへり。

 思ひかね妹がりの歌は、觀算供奉が日も詠吟すれば寒し、と申し侍るとなむ。

 定家卿、父俊成卿に歌のさまを懇に尋ね給ひし言葉に、「我が歌は三十の比までは、和らかに口の品もありて、よろしき歌ども申し侍りし程に、世の譽れもありつるやうに侍りし。四十ぢの比よりは、骨だかに艶なるかたおくれて覺え侍り。さるにや、かたへの人の耳にも入り侍らず。知りぬ、我が・歌のよこしまになり行きぬることを。いかさまに修行をもかへ侍るべき」とて、涙に沈み問ひたまひしに、俊成卿申し給へるとなむ。「いかめしくも尋ね給ふものかな。汝の歌を愚老もよりより思ひより侍り。わが歌には姿はるかにかはりぬ。それをば歎き給ふべからず。我はかなはぬ道にて肉をのみよめり。汝は天然と骨を得たり。汝の歌、うらやましきこと毎々なり。されども、八十ぢの今より學ばば惡かるべき故に、思ふばかりなり」となむ。「物には骨を得たる第一の事也。いかにも、このまゝに詠みつのり給はば、世一の人たるべし」とて涙をながし給へるとなり。

13 句ごとに祝言をすることについて。

 田舎ほとりの人は、句ごとに祝言をこととして、聊かの句も出できぬれば、眉をひそめ伏目になる侍る。如何。

 此の道は、無常述懷を心言葉のむねとして、あはれ深きことをいひかはし、いかなるえびす鬼のますら男の心もやはらげ、はかなき世の中のことわりをもすゝめ侍るべきに、たまたまあへる此の一座にだけに、色をふけり名にめでて、千世・萬世・鶴・龜・宿の樂しびなど言ひあへらんこそうたて侍れ。かく祝ひ侍るとて、いづれの人か百とせ、誰の者か千とせを經たる。昨日は榮えぬるも今日はおとろへ、朝に見しも夕には煙となる。樂しび悲しび、たなごゝろを反すよりも程なし。古の歌人は述懷無常をむねとし侍り。 詩にも、「杜子美一生の愁へ」といへるとなむ。 法華にも、「此の經を明らめむと思はば、世間の夢を觀ぜよ」といへり。しかはあれど、年の始め・貴所・外樣の會席、禁忌の言葉心を得べきなり。かばかりのこと誰の人か悟らざらむ。今さらことわるにたらず。

14 制作の時間

 田舎ほとりの一座は、晝つかたに過ぎ、遲きは未の刻などに退散す。これよりいさゝかも時移り侍れば、道ならぬやうにつぶめく人侍り。いかさまにあるべきやらむ。

 人の語り侍りしは、二條の太閣さまなどのやむごとなき御一座は、毎々朝より深更に及び侍りしとなり。そればかりこそ侍らずとも、朝天より日にいたらざらむ一座は、心にくゝも侍らず。さやうにあはあはしく、滿座の心をも恥ぢず申しつけ侍る人は、「沈思してもいかばかりの事か侍る。とざまかうざま案じたるもおなじこと也。沈思の人の句なかなか心を得ず」など申し侍るなり。言葉は心の使ひと申せば、これらの人の胸のうち、つたなくさわがしくこそ覺え侍れ。

 秀逸と申せばとて、あながちに別のことにあらず。心をも細く艶にのどめて、世のあはれをも深く思ひいれたる人の、胸より出でたる句なるべし。されば、一字二字のかはり也。しな・ゆう・たけ・やせ・さむく・らうらうしく・いはぬ心の匂ひあるは、閑人の口より出づるものなり。

     後京極攝政御歌

  人すまぬ不破の關屋の板びさし荒れにしのちはたゞ秋のかぜ

 此のたゞの二字は、昔より玄妙不可説のことに侍るとかや。彼の賢き和尚も、「誠におきがたきことなり。彼の御胸にありけることよ。あな恐ろし」など仰せ給ひし。さては、迷へると悟れるとのさかひなり。堪能の人の句は、心とらけて胸より出づる故に、時もうつり日も暮れて侍るにや。不堪の人の句は、舌の上より出でぬる故に片時なるらむ。劫は入りて耳はなき故に、達者にのみなる人おほしとなり。 

 

15 一躰のみを修行すべきか

一體をも心をとめて修行をこらし侍らば、さかひに至るべきやらん。

 先達申し侍りしは、大むねいづれの體をも捨てざらむをこそ、二なう賢き人とは申し侍らめ。一つかたちにのみとゞまり給はば、そこら殘りおほくや侍らむ。

 君子は周して比せず。小人は比して周せず。

 伯夷・叔齊は聖の清也。伊尹は清の和也。孔子をこそ時なるかな、といへるとなむ。

 佛をこそ兩足尊と申し侍れ。三乘の心は缺けたるなるべし。

16 師とすべき人について

 此の道、先達を尋ねて學ぶべき事にや。座々の人の言葉をうくべきにや侍らむ。

 おろかなるかな。古きを尋ねて新しきを知れとなり。道をうけざらむ人の稽古修行は、いたづらの事なるべし。横しまなる道つのりて後は、いかばかりの賢聖にあへるとも詮なかるべし。人の心をばうるし桶にたとへ侍り。白き絲すぢにもたとふ。色をまちて、さまざまにかはるものなるべし。佛の法を悟らむにも、善知識者是大因縁と云ふ。知法常無性、佛種從縁起ともいへり。

 此の比、尺八の上手なにがしとやらんに、ある人の、學ばむことを望みけるとなむ。「はや吹き給へるか」と尋ぬるに、「すこし稽古し侍る」と申す。「さては教へん事かなひがたし」といへるこそ、諸道にわたりて面白く覺え侍れ。かりにも惡き道にいりたる心の、すなほになりがたき事を知るなるべし。

17 友を選ぶべきこと

 さては友を尋ね人を知るべきにや。

 大かた心にまかせぬ世に侍れば、いづれの友いかならむ人に交はらむも、力なきことなり。されども、萬の道、よき友にまみゆる、最用なるべし。いかばかりうちしめりたる座にも、心しほどけぬ人の一兩輩も交はり侍れば、その座は本意なくや侍らん。

 子猷は安道を尋ねて遥かに棹をさす。興に乘じて來たり、興つきて歸るとて、安道にあはざりしこそ、情けふかく覺え侍れ。

 孟母が三度隣をかへし、まことに哀れふかし。友をえらぶなるべし。

 仁者は能く人を好みむじ、よく人を惡みむずるといへるも、道を思ふなるべし。

 又、子期去りて白牙絃を絶つといへり。

 其の人を見むと思はばその友を見よ。其の父を見むと思はばその子を見よといへるこそ、まことに恥づかしき言葉なれ。

 天台にも、「善友親近を第一とす」と云ふ。「因縁生の故に自性なし」ともいへり。

18 作品の大衆性について

 人の申し侍るは、「歌・連歌は、いかなるあやしのしづ心なきえびすの耳にも、面白く覺え侍らんこそまことの道なれ」と語る。如何。

 いづれの道も、心ざし淺くさかひに入らぬ人の、知るべきにあらず。不堪無智の輩も、親句・平懷體などはさもこそ侍らめ。けだかう幽遠の心をば、おぼろげの人の、悟り知るべきにや侍らざらむ。

 定家卿の歌の姿は、朧月夜に仙女の面影かりにあらはれて、消え失せたらむ匂ひなるべし、などいへるとなむ。 人磨・赤人の歌をも、たゞその人の物と見侍るばかりにや。道に至る人の目には玄妙不可説の歌なるべし。 杜子美が詩をも知る人かたし、といへるとやらむ。 佛の御法をも、五千の上慢は莚を卷きて立ち侍るとなり。應身報身までは心及び、法身に至りては絶々の所なるべし。

19 名声について

 世になべてほのめかす作者を、第一の人と申し侍らん哉。又、よき人には譽れあり、愚かなるには、もてはやされぬにもよるべからざるにや。

 先達語り侍りし。大むね世人時めきもて出でたる作者さもこそ侍らめ。されども、心淺き人に譽れあらむも、詮なき事なるべし。一人にても聖仁の耳こそ恥づかしき道にて侍れ。賢き人のおしけたれぬる、昔より多しとなむ。

 おのれ人に知られざるを憂へざれ、人を知らざるを憂へよといへり。

 孔子も時にあはず、顔囘も不幸なりと云ふ。

 不如、郷人の善者好之、其不善者惡之。

 佛の御名をも三億の人は聞かずと云ふ。

 澗底の松のひとり老い行くともいへり。

20 修行の心構え

 心をいかにおもむきて、さかひに入り侍らん。

 人の申し侍りしは、御法の門に入りて心の源をあきらめむにも、此の道をまなびて哀れふかきことを悟らんにも、此の身を明日あるものに頼み、さまざまの色にふけり寶をおもくし、ほこりかに思ふことなき人の中には、おぼろげにてもありがたくこそ侍れ。

 佛も駒を歸してひとり山深く入り、六とせの修行には、御もとどりに鳥の巣くふ、などといへり。

 詩にも、秀句は閑家の人の心より出づる、といへるとなむ。

閑居幽栖ほどこそなくとも、常に心をすまし、夕の雲・夜半の燈にむかひ、世の中の幻のうちに去り來たれる、たかきもみじかきも、賢きも愚かなるも、暮るるを待たぬ息のをの、髮すぢよりもはかなきを、我とのみ頼みて、百とせ千とせを經べき心をなし、色にふけり名にめでて、かたがたさまざまに散り迷ひぬるこそ愚かなれ。此の身は土灰となれるに、彼の息の一筋、いづちにか行き侍らん。我のみならず、萬象の上の來たりしかた去れる所こそ、尋ねきはめたく侍れ。

21 すらすらと稽古すべきか

 かたつ人の申し侍るは、句をするするとして、當座とゞこほらぬやうに稽古すべきことと申す。如何。

 大やう座により時にしたがふ事に侍れば、さもありぬべきことなるべし。されども、ひとへに輕々しくはいかでか侍らむ。道に心ざし深くしみこほりたる人は、玉の中に光を尋ね、花の外に匂ひをもとむる、まことの道なるべし。大聖文殊の化現などは知り侍らず、やす++と出で來べき道とは見えずや。心によしあしの分別もなく、艶にはづかしき道とも知らざらむ輩は、やすくや侍らむ。

 紀貫之は一首を廿日に詠ぜしとなり。

 宮内卿は血を吐きしといへり。

 公任卿はほのぼのの歌をば三とせまで案じ給へるといへり。

 長能は歌を難ぜられて死す。

 もろこしの潘岳とやらんは、詩を沈思して、三十ぢにて白翁となれるといへり。佛法に最上醍醐味といへる、いかにも練れる心をいふなるべし。

22 世上に名声を得べきか

 此の道、いかにも世に交はりて、身の譽れをも思ふべき事にや。

 古人語り侍りし。それも人の心により侍るべきにや。ひとへに名をおもひ、身の榮えに心をかけぬる人もあり。又、さかひに入れるにつけて、閑居を好み心を澄ます人もあるなり。

 定家卿、爲家卿の歌をいさめて申され侍るとなむ。「歌はさやうに殿居物にまつはれ、燈ほがらかにして、酒さかな取り散らしては、出で來ぬ道なり。されば、汝の歌無下なり。亡父卿の詠み給ひしこそ、まことに秀逸も出で來ぬべけれ。深更に殿油ほそく有るかなきかに向かひ、直衣のすゝけたるうちかけ、古き烏帽子耳までひき入れ給ひ、脇息により桐火桶をいだき、詠吟の聲しのびやかにして、夜たけ人しづまりぬるにつけて、うち傾き、よゝと泣き給へる」となむ。まことに、思ひいれ給へる姿ありがたくこそ侍れ。さるにや、爲家卿は家官めでたかりしかども、御室の五十首などにも除かれ給へるとなむ。其の御書の御言葉に、「當時の歌仙、無下の事に申しあへる」とあそばしけるとなむ。定家卿歌を案じ給へるには、びんをかゝげ直衣を着し、おぼろげにも威儀をみだし給はずとなむ。

23 批評の難しさ

 かたつ田舍などのともがらは、人の歌・連歌大かたに聞き見て、さまざまの言葉をそへ給へる。此の事あたり侍るべきにや。

 まことに此の事、先達申し侍りし。いづれの道も、我が程より上つかたをば知りがたきこととなり。その作者は骨をくだき沈思せし句などをも、たゞあさあさと思ひ給はば、毎々作者の心ざしには違ひたる事侍るべし。すべて、歌道の上手は諸人のことにて侍れども、分別修行あきらかに道のあはれ深き人は、おぼろげにもありがたしとなり。佛法にも歌道にも、その眼を得たるは別のことと古人の申し侍るなり。

24 名人と同席することにつき

 つねに田舍人などの申し侍るは、その明聖の座に度々ゐて聞き侍るなどとて、のゝしること侍り。如何。

 たとひ百度千度おなじ莚にありても、知るべき道にはあらず。その人の心を尋ねあきらめ、たがひに胸の中をさらし侍らずは、他人の寶の中に朝夕ゐたるなるべし。此の道は故實を談ずるを最用なるよし、俊成卿も申され侍るとなり。されども、無數寄・愚鈍の人は、千度百度聞きても、牛の前に調ぶる琴とやらんなるべくや。

25 不断の修行

 此の道稽古をつみて後、しばらくうち置きてもたどるまじくや。

 螢雪年をつみても、修行工夫しばらくもゆるくなりては、跡なく下るべきにや。文にも、「一日に三度身をかへりみよ」といへり。

 此の比世一の尺八ふく頓阿といふ者、かたり侍りし。「三日うち置き侍らば鳴らじ」といへる、もろもろの道にずむじ侍らん事なるべしとなむ。

 又、梵灯庵主歌道をとゞめて、東國・筑紫に年久しくさまよひて後都にかへりしに、「此の道いかに跡なくなり給ふらん」と申し侍れば、「なでうたどり侍らん。連歌は座になき時こそ連歌にて侍れ」と申されしとなむ。これも諸道にわたるべき言葉なり。

26 他と異なった句の意義

 田舍などの人は、我が句にいさゝかも變はりたるをば、いりほがそばみたるなど申しあへる。如何。

 力なき事なるべし。さやうの人は、我が好む姿を胸のうちに定め侍り。堪能の人は、天に橋さゝずして登るばかりの心をめぐらし侍るなるべし。我が好む心にかはれるを羨むならば賢かるべし。

 清岩和尚のつねに申し給ひしとなむ。「我が歌は惡かるべし。毎々人の歌を詠まじと案じ侍る程に」とありし。恥づかしき事なるべし。

27 名人の句が難解だということにつき

 いかでさかひに入りたる人の句の、いよいよ耳遠くなり侍るらん。

 先達語りし。修行工夫などと申し侍る事は、前の句の心・てにをはの一字をも捨てず、打越・遠輪廻、又我が句の後ろの人の付け侍らむまで、覺悟深く百韻をつかねて、前後を思はん人の心をば、一句の上のみ聞き給はむともがらは、分きがたかるべし。

 小野道風が手跡も、至極の後は世に知る人なかりし、といへり。

 佛法の圓教圓融に至りて萬象を捨てざる心は、悟り分別のほかなるべし。

28 凡俗なる句について

 凡俗なる句と申し侍る事は、いかなる姿にて侍るやらむ。

 姿と心との凡俗侍るべし。姿の俗は聞こえやすく、心の凡俗はすこし分きがたく侍り。

   松植ゑおかむ古郷の庭 といふに、

  夢さそふ風を月見むたよりにて

これは姿よろしきやうに侍れども、心ことのほかにや侍らん。誰の人か小松植ゑおきて、風に夢さまして月見むとたくみ侍らん。

  春はたゞいづれの草も若菜哉

七草などは、二葉三葉、雪間より求めえたるさまこそ艶に侍るに、これはいづれをもわかずむしり取りたる、無下に見え侍り。

29 同類について

 歌には同類とて人の心言葉ををかす、恐しきことに申すとかや。連歌にはいかゞ侍るべきや。

 先達語り侍りし。なかにも此の事むねと沙汰あるべきにや。かた田舍の人などは、昨日の句をば一字二字かへて今日は申し侍るとなむ。たがひに我が物なし。されば、心ざし深き人のしみこほりて言ひ出だしたる句も、明日は主かはりて出でぬる程に、句は一つにてさまざまの作者侍り。不便の事也。古人は大いにいましめ侍るとなむ。有家卿、「すゑの松やまず」と申されけるに、年をかさねて後、雅經卿、「足引のやまず」と申されけるをば、其の比の歌仙、無下のこととて難をおひ給へるとなむ。

  香にめでて花にもゆるす嵐かな

  散るを見て花に忘るゝ嵐哉

  花を出でて花よりもこき匂ひかな

  梅の花あゐよりもこき匂ひかな

作者いづれ先にか侍りけむ。不便の事なるべし。いかばかりの玄妙の句にても侍れ、以前人のをかしたる心言葉は、たゞ人の物をいひつぎたるなるべし。

  都とて積もるはまれのみ雪哉 宗砌

  山とほき都はまれのみ雪かな 智蘊

此の句ぞおなじ比申し合はせ侍りしかども、たがひに人の心ををかすべき作者に侍らねば、なかなか珍しきかた侍り。かばかりの事、いかにも分別あるべき事なるべし。

30 いりほがについて

 歌にはいりほがとて、あまりにさかひに入り過ぎたるをば嫌ひ侍り。連歌にはあるまじき事にや侍らむ。

 此の句つねに見え侍り。心のいりほが・姿のいりほが侍るべしとなむ。

  木をきるや霜のつるぎのさ山風

是等たくましく手だりの人の句也。されども、初めの五文字、いま少しいりほがなるべし。冴えにけりなどにては、さしのびて見え侍るべきか。劒にて木をきるもよろしからず。

  夏草や春のおもかげ秋の花

此の句、姿のいりほがなり。いさゝかいりもみて見え侍り。

31 未来記について

歌には未來記とて嫌はるゝ體あり。連歌にはなき事にて侍るべきにや。

此の句座々に聞こえ侍るとなむ。いかにも恐るべきことなりと申さる。

  ふかで世に天が下かへ花の風

  郭公鳴かずば秋の月夜かな

是等のたぐひ、未來記の最一なるべし。

32 無心所著について

 又、歌には無心所著といへること、萬葉集より沙汰し侍り。連歌には、如何。

 此の姿おほく聞こえ侍り。およそ歌に分きたる體、連歌の道に露ばかりもかはるべからず哉。

  月やどる水のおもだか鳥屋もなし

  花や咲く雨なき山にかげはくも

かやうの風情、無心所著なるべしとなり。

33 親句疎句について

 歌には親句・疎句とて二つの體あり。連歌にはなきことにや。

 此の事分別なき故に、句の付きざま心にまどへるなり。「歌には疎句に秀歌おほし」と定家卿も申し給へるとなむ。いかにも親句・疎句二體あるべしとなり。

    疎句體

   はじめもはても知らぬ世の中

  わだの原よせてはかへる沖つ波

   これや伏屋に生ふるはゝき木

  いなづまの光のうちの松のいろ

前句の姿・言葉を捨てて、たゞひとへに心にて付けたるなり。是等の句しるす

にひまなし。

    疎句歌

定家卿

  里とほき八聲の鳥のはつこゑに花の香おくる春の山かぜ

  鷺のゐる池の汀に松ふりて都のほかの心地こそすれ

慈鎭

  おもふことなど問ふ人のなかるらん仰げば空に月ぞさやけき

  まこもかるみ津のみまきの夕ま暮寢ぬにめざます郭公かな

正徹

  椎の葉のうら吹きかへす木枯に夕月夜みるありあけの比

此等の類の名歌、不可勝計。しるすにたらず。

     親句 付樣常の事也

   氷のうへに浪ぞたちぬる

  さゆる夜の月の影野の花薄 良阿

   荒るゝ屋形をいまつくるなり

  かたをかの里のあたりを田になして 同

親句・疎句の見所をはなれ侍るべしとなり。ひとつ姿に落ち侍らば、道のほかなるべし。

34 篇序題曲流について

 歌には篇・序・題・曲・流といふ事をかたちにして作り侍るとなむ。連歌にもあるべきにや。

 先達語り侍りし。此の事連歌の最用なるべし。假令、下の句に曲の心あらば、上の句を篇・序・題になして言ひ殘すべし。又、上の句に曲の心ありてもみたらば、下の句を篇・序・題になして言ひ流すべし。

   つみもむくいもさもあらばあれ

  月のこる狩場の雪の朝ぼらけ 救濟

   返へしたる田を又返へすなり

  あし引の山にふす猪の夜はきて 善阿

   氷とけても雪は手にあり

  散りかゝる野澤の花のした蕨 順覺

此の三句は、前の下の句に曲の心ありてもみくどきたる故に、付句を篇・序・題になして言ひかけて前句にゆずり侍り。

   面影の遠くなるこそ悲しけれ

  花みし山の夕ぐれの雲 良阿

   まへうしろ戸の二つある柴の庵

  出でて入るまで月をこそ見れ 信照

此の二句は、前の上の句に曲の心ありて言ひあらはす故に、下の句を篇・序・題になして、前句をうけて言ひ流したるばかりなり。連歌は必ず上の句を言ひ殘して下の句にゆづり、下の句に言ひはてずして、上の句に言はせはつべき物と見えたり。おのおのに言ひはてたる句には、感情秀逸なかるべしといへり。

 歌には曲を二所にいはじとて、おほく序の言葉・休めたる言葉を置くもの也。是を半臂の句といへり。覺悟なくば秀逸をもあさあさと心得侍るべくや。經にも序・正・流通とて、先づ序分にさまざまの因縁・譬喩を説きて、後に正宗分とてその經の眼をいひて、すゑに又流通分とて、その經の徳をさまざまに言ひ流すなり。いかなる人も知れる事なれども、歌道の篇・序・題・興・流にあひかなへり。詩にも起・承・轉・合といへるとなむおなじ。されば、歌にも連歌にも、序をさまざまに長く置きたる、多く見え侍り。むかしは專らに詠ずと見え侍り。

     序の歌少々注す

  郭公鳴くや五月のあやめ草あやめも知らぬ戀もするかな

  敷島のやまとにはあらぬ唐衣頃も經ずして逢ふよしもがな

  山城の淀のわかごもかりにだに來ぬ人たのむ我ぞはかなき

  みちのくの淺香の沼の花がつみかつ見し人に戀ひわたるかな

  吉野川岩浪たかく行く水のはやくぞ人を思ひそめてし

又、中の句に、休めたる言葉どもを長く置きたるも見え侍り。

  たがみそぎゆふつけ鳥ぞから衣立田の山におりはへてなく

慈鎭和尚

  鵜かひ舟あはれとぞ思ふもののふの八十宇治川の夕やみの空

定家卿

  生駒山あらしも秋の色にふく手染の絲のよるぞ悲しき

連歌にも此等の歌のごとく、前句にゆづりて序にてはてたるあり。一體なるべし。古人の句どもには、此の風情むねと見え侍り。

   神のいがきにひく馬もあり

  みそぎせし巳の日は渦ぎぬ御しめ繩 信照

   うつゝか夢かあけてこそ見め

  旅にもつ荷ざきの箱根宇津の山 周阿

   心よりたゞ憂きことに鹽じみて

  入江のほたてからき世の中 救濟

これらのたぐひ、しるすにいとまあらず。

 

35 六義について

 歌には六義とて六の姿を分きたる也。連歌にはあるまじきことにや。

 先達に尋ね侍りし。大かた六くさの心、句ごとにわたるべきなり。句にしるして大むねあらはす。

     風  そへ歌の心

  名は高く聲はうへなし郭公 救濟

二條の太閤さまを郭公にそへて稱揚したてまつるなるべし。物にそへて句の心

をあらはすを風の句なるべし。

     賦  かぞへ歌の心

  いづる日はよもの霞になりにけり 救濟

これは物ごとに心をくばりて通したる句なるべし。こまやかに心をとる、賦の句なるべし。

     比  なぞらへ歌の心

  下紅葉ちりにまじはる宮ゐかな 救濟

散りの字を麈に作りなしてなぞらへたるなるべし。比の句の心如此歟。

     興  たとへ歌の心

  五月雨はみねの松風谷の水 救濟

これは、その物にゆゑづきたるを、見なし聞きなしたとへたる、興の句なるべ

し。

     雅  たゞごと歌の心

  夏草も花の秋にはなりにけり 門眞

たゞちに言ひたる句なり。言葉心をめぐらさで正しくいへる、雅の句なり。

     頌  いはひ歌の心

  花椿みがけるたまの砌かな 成阿

ほめ祝ひたる心なるべし。頌の句なり。古今のかな序の小註には、頌の歌には神祇の心あるべしといへり。この小註は、後にある人の書き入れたる言葉といへり。されば、談義どもにも心得ずとて難ず。作者口傳あり。しかる間、本註を引きて、この發句どもしるし侍り。

36 連歌合について

 歌には代々歌合とて、作者の名を隱して、當座にさまざまの褒貶にあひぬれば、いさゝかのとがまで明らめ知る也。連歌にはさばかりの事あるまじくや。

 まことに、連歌には今までさやうの用心なき故に、いかなる初心不堪のともがらも、我が心の行く所をよしと取り置き侍るにや、あさはかになり行き侍ると也。近比はじめて、連歌を歌のごとく左右に分きて、當座にさまざまの褒貶ありて、勝負を付け侍ること、たびたびなるとかや。賢き人のつきてもてはやさば、道のたよりにも成るべくや侍らん。

37 連歌の点について

 歌の點は、いさゝかの事まで言葉をそへて尋ね侍るなり。連歌の點は、いかゞあるべきことに侍るらん。

 人に尋ね侍りしに、連歌の點を合ひ侍らむ人も、句どもの不審にいかにも言葉をくはへ、たがひに心ざしをとゞけ侍るべきに、心を得ぬ句ども故なき事どもをうち捨て侍らば、點を取りても合ひても詮なかるべし。歌の點にはこの斟酌はありとも聞き侍らず。これ又歌にかはるべからざる事にこそ侍らめ。

38 晩学について

 器用のかたがたの晩學になれるとてさしおき侍る人あり。さもあるべきにや。

 此の道はひとへに閑心のもてあそびなる故に、年半ば過ぐる比より、うるはしき修行分別は出でくる道なるべし。いかにも老後よりまことの我が句は出でき侍るべきなり。

 家隆卿は五十に至りて名譽のきこえ侍りしとなり。

 ィ説は四十にはじめて學んで文道に至るといへり。

 孔子も四十にして惑はずといへり。

 宗史七十にて學んで師傳にいたる。

 朝に道を聞いて夕に死する、可也。

39 この頃の連歌の有様

 田舍ほとりのこの比の連歌を聞き侍るに、更に修行工夫の道とは見え侍らず。たがひにぬさ取りあへざるさまなり。

 誠に世にみちてよりは、心たかく情けふかき道は絶え侍るにや。ひとへに舌の上のさへづりとなりて、胸の修行は跡なく侍るやらん。されば、道のほとり市のなかに、千句萬句とて耳にみてり。たまたま道に入れるともがらも、ひとへに世を渡るよすがになして、日々夜々に亂れあひぬるばかりなり。此の道の雜法末法にあひかなへる時なるかな。しかはあれど、何事も一念即極の上に侍れば、堪能も不堪も、のどやかなるも騷がしきも、たゞ其の日をなぐさめて暮らせるなるべし。佛のさまざまの方便にて引き入れたまふごとく、誰もこの道の窮子なれば、すなほに道に入るべきにあらず。尊きものをば尊く劣なるをば劣にと侍れば、智門・悲門のごとく、その人の堪否に任すべきのみなるべし。

佛も孔子も人麿も救ひがたき道なるべし。

 隨衆生性 所受不同 と説けり。

 同聽異聞ともいへり。

 此の道は、およそ應長の比より世にさかりに翫ぶと見えたり。其の比の先達は善阿法師なり。彼が門弟、順覺・信照・救濟・良阿などなり。其の後貞治・應安の比よりは、ひとへに救濟法師この道の聖なり。彼が門弟、周阿法師・素眼などとて、やむごときなきもの侍り。彼等が身まかりて後、應氷の比よりは、梵灯庵主この道のともし火と見え侍り。その末つかたは、眞下滿廣・四條道場相阿などぞ、心も細く言葉もやさしく侍りけるとなむ。

 其の後、永享の比より世に知られぬるは、宗砌法師・智蘊などなるべし。彼等は清岩和尚の下に久しく候ひ侍りて、歌の道をも知れるにや。其の比より、連歌の道も漸く絶えたるを起こすと見え侍り。

 今は清き岩ほよりうち出でし光も消え侍れば、この道又かき暮れぬるこそ悲しけれ。この後いかなる賢き人出で侍るとも、いづれの光をつぎ、誰のしるべに問ひてか、末遠き世をも照し侍らん。黄なる河水の澄めるを見むも、賢き聖の出でんにあはむも、千年に一度なれば、誰の人か殘りて待ち侍らむ。たゞ過ぎにしかたの世ひとつぞ、戀しくもしのばしくも侍る。

 このさまざまの跡なし事も、朝の露・夕の雲の消えせぬ程のたはぶれ也。はかなきすさみなる哉。佛の御法をだに心にとめぬれば、凡に落ちぬる、と申すとかや。此の道を悟り知らむよりも、たゞいま當來すべき一大事因縁を尋ねあきらめ、ながく生死をこそ捨てたく侍れ。いたづら事に光陰を消ちて闇きに入り侍らむこと、八千度悔いてもあまりおほく侍るかな。

 しかはあれど、猶深く思ひとき侍れば、いづれの法いかなる教へにも、ながく凡聖のへだて侍らず。さまざまの方便の門にまどひて、目前の十界をはなれて、三世にめぐると見る人こそおろかに侍れ。それも明らかなる眼よりは同一性なれば、あやまる道なかるべし。もとより太虚にひとしき胸の中なれば、いづれの道をもてあそび、いかなる法をつとめても、其の相とまるべきにあらず。三世に主なき萬法なり。たゞ幻の程のよしあしの理のみぞ、不思議のうへの不思議なる。それも天然法爾、あなむつかしの心づくしや。何事もさもあらばありなむ。

   古人の句少々

     幽玄體句

   袖をかざすは名のみかさにて

  春日野のうへなる山の春がすみ 順覺

   ともに住まむといひしおく山

  なき跡にひとりぞ結ぶ柴の庵 救濟

   古郷となるまで人の猶住みて

  荻ふく風にころもうつなり 頓阿

   風の音までさむき夕ぐれ

  秋はたゞ人を侍つにも憂きものを 救濟

   わかれ思へば涙なりけり

  松風も誰がいにしへを殘すらむ 同

     長高體句

   かぞふばかりに露むすぶなり

  春雨にもゆる蕨の手を折りて 順覺

   あまりに遠き山は知られず

  わかれうき鷲のたかねや二千とせ 周阿

   道知れる文と弓とは聞こえけり

  雁がね歸る三日月の前 良阿

   日をながくなす柴の戸の内

  此の山の西は晴れたる住居にて 信照

   川のよどみに花ぞ殘れる

  御吉野の夏見るまでの遲ざくら 十佛

     有心體句

   槙たつ山のさむき夕ぐれ

  行き++て此の川上は里もなし 救濟

   これよりはまさる心になりやせむ

  わが後の世の秋のゆふぐれ 良阿

 

   ぬしこそ知らね舟のさほ川

  奈良路行く木津の渡りに日は暮れて 救濟

   人に知らるゝ谷のした道

  風かはる妻木の山の朝夕に 同

   親にかはるや姿なるらん

  ともし火のあかき色なる鬼を見て 同

     農句體

   水やのぼりて露となるらむ

  玉だれの小瓶にさせる花の枝 信照

   其の名をも主に問ひてぞ知られぬる

  しづがいほりのそのの太山木 良阿

   去年より人の數ぞすくなき

  このかみに年は一つのおととにて 救濟

   ふねのうちにて老いにけるかな

  浮草の筧の水に流れ來て 善阿

   出づるより入る山中の月

 

  さ牡鹿の息かと見えし霧はれて

救濟

     麗句體

   月こそ室のこほりなりけれ

  三熊野の山の木枯吹きさえて 良阿

   ふる雨もさのみはもらぬ松の陰

  苔やいほりの軒をとづらむ 信照

   寒くきこゆる浦浪の音

  鴎なく此のいかに深けぬらん 救濟

   いづみ涼しく松風ぞふく

  住吉の浦の南に月深けて 同

   消えやらぬ命に花を先き立てて

  枯野の露にのこる蟲の音 良阿

     面白體句

   心たけくも世をのがれぬる

  みどり子のしたふをだにもふり捨てて 同

   きぬたの音ぞ高く聞こゆる

  秋寒きみねの庵に人住みて 頓阿

   こずゑにのぼる秋のしら露

  山のはの松のもとより月出でて 信照

   いまは年こそたちかへりけれ

  老いぬればいとけなかりし心にて 救濟

   人の數こそあまた見えけれ

  杣木ひくまさきの綱に手をかけて 同

     事可然體句

   人にとはれむ道だにもなし

  花の後木のもと深き春の草 良阿

   まよひし道も里にこそなれ

  しらぬ野の草かる賎に行きつれて 同

   かこはねど霧や籬となりぬらん

  鹿の音こもる夕ぐれの山 同

   くゆる心に罪や消ゆらん

  身を捨つる柴の庵の夕けぶり 信照

   春雨になれば浦わに鹽燒かで

  舟にたまれる水をこそくめ 順覺

     一節體句

   涙の色は袖のくれなゐ

  なに故にかゝる浮名の立田川 信照

   かた枝はうすきみねの紅葉々

  人心おもひ思はぬ色見えて 同

   平野こそ北野につゞく杜となれ

  難波津よりは遠き筑紫路 十佛

   待つ日數をばへだてきにけり

  逢ふまでいとひし命のいきの松 救濟

   心よりたゞうき事に鹽じみて

  入江のほたてからき世の中 同

     寫古體句

   雪をあつめて山とこそ見れ

  富士のねは人の語るもゆかしくて 順覺

   上下をさだむる君がまつりごと

  絶えず流るゝ賀茂の川水 善阿

   いつはりおほき筆の跡かな

  繪にかけば花も紅葉も常磐にて 良阿

   みじか夜なれば祈りあかしつ

  わがたのむ社の御名の鴨のあし 家隆卿

   などいたづらにつとめざるらむ

  寺近き飛鳥の里に住みながら 十佛

     強力體句

   ふしをがむより見ゆる瑞垣

  これぞこの神代久しき宮柱 救濟

   いのち思へば末ぞみじかき

  老の後ふり分け髮の子を持ちて 十佛

   かねてとふべき日を知らぬかな

  郭公鳴くなる月はさだまりて 信照

   弓矢ぞ國のをさめとはなる

  かゝしたつ秋の山田を刈りあげて 周阿

   鳴くたづもおのがねぐらをいそぐなり

  霜置きそへて暮れぬ此の日は 救濟

 住吉・北野こそ鑒照し給ふべけれ。たゞ心に浮かぶまゝ、筆にまかせ侍るばかり也。まことに闇のうつゝよりおぼつかなき事どもなり。