ささめごと(天理本)下巻

  上巻  桃李百韻の部屋 連歌俳諧論  談話室 桃李歌壇

下巻目次 

40 篇序題曲流 41 艶をむねと修行すべきこと 42 月雪花の扱い方 43 幽遠の句 44 指合嫌物 45 仏道歌道一如論
46 前句と付句の関係 47 批評の意義 48 友を選ぶべき事 49 親句、疎句 50 至極の躰 51 心地修行
52 風体の様々 53 幽棲閑居を好む歌人 54 放埒の好士と法楽連歌 55 達道の人を重んずべき事 56 一生涯の修行 57 道に達することの難しさ
58 相資相反 59 この頃の会席の猥雑さ 60 至極の歌連歌 61 十徳 62 歌道七賊 63 跋文

 

40 篇序題曲流について

 さきに尋ね侍りし。六義・篇序題曲流、なおおぼつかなき事殘り侍り。

 先哲語り侍る。此の分別明らかならざむ好士は、いかばかり玄妙の句を作り侍らんも、代々集の趣、又他人の歌・連歌、わきまへ侍らんことおぼつかなしとなり。されば古今集にもむねと書きあらはし侍り。定家卿明月記などにも、此の兩條の事をつくひ給へりとなり。

 我が句を面白く作るよりも、聞くは遥かに至りがたしといへり。さては、句を作らむよりも、人の才智を明らめむ事を修行し侍らむ道なるべし。六義の事、前に粗しるし侍り。篇・序・題・曲・流の五つは歌の五所の作りざまなるべしとなり。

 は人を尋ぬるに、いまだたゝずみたる樣也。

 は申次などを尋ぬる程の事也。

 は此の事を言ひに來たるなどの分なるべし。

 はその意趣をあらはすさまなり。

 はいとまをこひて出でたるなるべし。

此の五つの作りざまを、連歌にも、上下の兩句を一つに吟じ合はせて心を得べしと也。此の用心なくば、毎句に冠を足に置き沓をいたゞく事おほかるべし。此の旨わきまへぬ好士は、くだけちゞみふとみたれども、結構の句をのみむねと思へり。大やうに言ひ流したる所をわきがたかるべし。兩句のうちに、必ず言ひ殘し言ひ流したる所あるべしとなり。前句を我が句になして吟じ合はせよといへり。

 篇・序・題・興・流の五つは歌の五體、六義は和歌の六根なるべしとなり。

此の二つにたどり侍らば、萬道の序・破・急・諸經・諸論の序正流通・因縁・譬喩の所にまどひ侍るべしとなり。されば、古人の歌どもには、久堅の月 足引の山 玉ぼこの道 青によしなら しなてるやかた岡、又、あし引の山の山鳥 山鳥の秋のすゑをの里などよめり。かやうに中にながながしく置けるも、たゞ、足引の山鳥、山鳥の尾のみなり。半臂の句とて休め侍れば、句のさしのび大やうに艶なりといへり。これに似て隔句といへる事あり。それは五音通ぜざる故に大きなる病也。山鳥の月にをのへのなどいへること、秋風の松の葉しぼる袖吹きてなどいへるは、五音通せざる故に病とす。これらの分別最用なるべしと也。

41 艶をむねと修行すべき事について

 昔の歌仙にある人の、歌をばいかやうに詠むべき物ぞと尋ね侍れば、「枯野のすゝき、有明の月」と答へ侍り。

 これは言はぬ所に心をかけ、冷え寂びたるかたを悟り知れとなり。さかひに入りはてたる人の句は、此の風情のみなるべし。されば、枯野の薄といへらむ句にも、有明の月ばかりの心にて付くる事侍るべし。此の修行なき人はたどり侍るべし。

 又、古人の歌を教へ侍るに、此の歌を胸におきて歌を案じ給へといふ。

  ほのぼのと有明の月の月影に紅葉吹きおろす山おろしの風

                          源信明朝臣

 これも、艶にさしのびのどやかにして、面影・餘情に心をかけよ、といふなるべし。この道に入らむともがらは、先づ艶をむねと修行すべき事といへり。艶といへばてと、ひとへに句の姿・言葉の優ばみたるにはあるべからず。胸のうち人間の色欲もうすく、よろづに跡なき事を思ひしめ、人の情けを忘れず、其の人の恩には、一つの命をも輕く思ひ侍らん人の胸より出でたる句なるべし。心のかざりたる輩の句は、姿・言葉は優しくとも、まことの耳よりは僞りのみあらはれ侍るべし。句の心清かるべからずとなり。古人の名歌・自讚の句どもに、姿をかざりたるは稀にも見えず。ことに上代の歌ども、するどなるをむねとせし程に、くだれる世のかざりたる眼よりは、秀逸をもわきがたくや侍らん。定家・家隆をさへ猶歌作りと仰せ給ひしとなり。慈鎭・西行をこそ歌よみとは仰せられしか。

 人は心ざしの深きをとり、獸は淺き形をとるといへり。

  居士はさうきを組みて市に出でぬるばかり也。

 傅説は畑をうちし翁なれども、殷宗の夢にいる。

 張翰は鱸を釣りしかども、賢き名を得しなり。

 司馬相如は衣を一つ持たで、たふさぎといへる物を身にまとひしかども、其の名かくれず。しかはあれど、君かざらざれば臣敬はずといへば、姿・言葉をかざらむ、歌道の肝用なるべし。

42 月花雪のあつかい方について

 いづくの莚に聞き侍るも、月・花・雪をこととして、おぼろげにも末座不肖の輩の申す事あるまじきやうに見え侍り。

 先人語り侍りし。この比の好士のもて出でたることなり。いにしへ二條の太閤さまの月卿雲客の千句にも、末座若輩なりし周阿法師、花を三十七本申したるとなり。これ作者の過分にはあらざるべし。その比は、句をもととし給ひけるにや。歌などの題をくばるに、上座尊宿などとて、月・花・雪をまゐらする事なし。此の外、祝言の句などをも上つかたには庶幾なきを、追從をむねとする好士の申しなし侍る故に、道の誠はすたれはて侍るべし。

 佛法にも、句を尋ぬる人あり、意を求むる輩ありとなり。景物をこととする好士は、句に至る當分なるべし。未得の人は句に參じ、至得の人は意に參ずといへり。句は教、意は理也。教權理實といへり。

 心外法あれば生死に輪廻し、一心覺知すればながく生死を捨つといへり。

 一度一心を見る、ながく生死を超ゆと云ふ。

 有爲報佛 夢中權果 無作三身 覺前實佛

しかはあれど、定惠の意句そなへざらむ歌人は、先達たるべならずといへり。

43 幽遠の句について

 田舍ほとりの人は、句の太みつまづきたるをも、色どり功みなるを事として、姿・言葉づかひの幽遠の句をばかたはらになし侍り。

 尊宿の語り侍りし。いづれの道もおなじ事に侍れども、特に此の道は、感情・面影・餘情をむねとして、いかにも言ひ殘し理なき所に幽玄・哀れはあるべしとなり。歌にも不明體とて、面影ばかりをのみ詠む、いみじき至極の體也。「ふつとその人一人のわざなるべし」と定家卿もしるし給へり。

 兼好法師が云ふ、「月花をば目にてのみ見る物かは。雨の夜思ひあかし、散りしほれたる木陰に來て、過ぎにしかたを思ふこそ」と書き侍る、誠に艶ふかく覺え侍り。

 潯陽江にものの音やみ、月入りて後、此の時聲なき聲あるにすぐれたり、といへる感情なほざりならず。戀の詩に、

  春風桃李花開日  秋露梧桐葉落時

歌・連花の戀句なども此の風體なるべき事か。風の句・比の句の姿なり。されば先人も、戀の歌はよの三・四首よりも沈思なるといへり。述懷・戀などはことに胸の底より出づべきことなるべしと也。

     定家卿詠

  秋の日のうすき衣に風たちて行く人侍たぬすゑのしら雲

     清岩和尚歌

  秋の日は絲よりよわきさゝがにの雲のはたてに荻の上風

これらの秀歌、まことに法身の體、無師自悟の歌なるべし。言葉にはことわりがたかるべし。巫山の仙神女の姿、五湖の煙水の面影は、言葉にはあらはすべからず。

  若以色見我  以音聲求我

  是人行邪道  不能見如來。

  我覺本不生  出過語言道

  (諸過得解脱) 遠離於因縁

  知空等虚空。

44 指合嫌物の意味

 かたほとりの人は指合・嫌物のみきびしくて、句のよしあしはさながら聞き分き侍らざるやらん。

 指合・嫌物はその莚によるべしとなり。無階級の上の階級なれば、假令、佛法の戒律などのごとくなるべし。戒論の上はいまだ直路にあらず。經にはゆるす事のみおほく見え侍り。心地を正路とする故也。されば、まことの道に入れる歌人は、格式のほかの事おほかるべし。

 戒緩乘急の人あり、乘緩戒急の人あるべしとなり。

 利根の外道は邪相を正法に入れ、鈍根の内道は正相を邪法と成すといへり。

 戒如虚空、 持者顛倒すとも云ふ。

 眞觀無生、 究竟持戒也といへり。

いにしへの權者にも、心地をむねとして戒律にかゝはらざる人、其の數をしらず。方便を離れたる眞の人なるべしと也。

 玄賓僧都は船渡となり、又山田守ともなり給ひしとなり。

 教待和尚は龜をのみ食し給へると也。

 淨藏貴所は子を膝の上に置きながら、傾ける塔を祈りなほし給へるとなり。

 僧賀上人は牛に乘りて、乾鮭とやらんを太刀にはきて、供上に參り給ひしとなり。

 しかあれど、戒は佛法の惠命、諸道のおきて、諸宗の昇進の最一也。おろそかに守るべからずとなり。

 五戒と云ふ、五常をかくしたる名也。

 仁・義・禮・智・信、これしばらくもなくては、萬道破れ侍るべし。

 諸道に種・熟・已達とて、三つの位あるべしとなり。熟人・已達の輩を、種なる人の學ぶべきにあらず。孔子なほ「七十にして法をこえず」との給へるとなり。しからば、指合・嫌物をもなほざりに思ふべからずとなり。歌・連歌にも外穢内淨・外淨内穢の句あるべしと也。

     姿をかざらで心の艶にふかき歌

西行

  かしこまるしでに涙のかゝるかな又いつかはと思ふわかれに

慈鎭

  になひ持つざふきの入れこ町あしだ世わたる道を見るぞかなしき

仲實

  あさ露をはかなきものと見つるまでほとけの兄に身はなりにけり

此等は外穢内淨の句なるべし。たとへば、金をつゞりに裹みたるごとし。上はつたなくて、うちに寶あるべし。又、姿のよろしくて、心の亂れたる歌多しと也。

  をしからぬ深山おろしのさ莚になにといのちの幾夜ひとりね

此のたぐひ數を知らず。外淨内穢の歌なり。錦にて不淨の物を裹みたるなるべし。人も姿の清きはなべてのことなり。心の濁らざるは稀なりとなむ。

45 仏道歌道一如論

 かたつ人の座には、先達の句をも、おのおのが心を得ぬをば次ざまに思ひくだし侍り。

 いづれの道も、稽古と工夫とはるかに心かはるべき也。されば、いかばかりの聖教・抄物に眼をさらせるも、修行に冷煖自知の所なくば至りがたしとなり。

西行上人も、「歌道はひとへに禅定修行の道」とのみ申されしとなり。まことに道にいたり侍るは頓悟直路の法なるべし。

 經信卿云はく、「和歌は隱遁の源、菩提をすゝむる直路也。眞如實相の理、三十一字におさまれり」といへるを、定家卿此の旨をねんごろに稱揚したまへり。

 俊成卿、老後に思へるとなむ。「人には必ず一大事あり。この道にのみふけり、只今の當來を忘れ侍る事、妄想なるべし」とて、少し此の道になづむ心出でき給ひしに、住吉大明神あらたに現じたまひて、うち笑みしめし給ふ。「歌道をおろそかに思ひ給ふ事なかれ。此の道にて必ず往生をとげ給ふべし。歌道即身直路の修行也」とあらたにのべ給ひしと也。

 されば、篇・序・題・曲・流の五つは五大所成・五佛・五智・圓明を顯はし、六義は六道・六波羅蜜・六大無碍・法身の體也。古今集潅頂などといへり

密宗の一大事とて傳ふるにかはる事なしとなり。

 本より歌道は吾が國の陀羅尼なり。綺語を論ずる時は、經論をよみ禅定を修行するも妄想なるべし。

46 前句と付句の関係について

 中つ比よりこのかたの傍の好士は、一句のうへに理しられてうるはしきを秀逸とのみ心得、前句の寄樣をば忘れ侍るやらん。

 歌仙の語りし。歌は題をめぐらしぬれば、いかばかりの地歌も奇特になり、連歌は前句の寄樣にて、定句なども玄妙になるべしとなり。たとへば、「大佛南都にあり」といへらん程の事は、三歳の嬰兒も知るなるべきか。されども、沙彌が北野の宮に參りける路次にて、「小僧北野に詣づ」とかけたる言下の返答には、賢き言葉なり。歌も題をめぐらす、ひとつの姿也。これ堪能のわざなり。

     南殿の落花を見て 公忠卿

  殿もりのともの宮つこ心あらばこの春ばかり朝ぎよめすな

     大井河邊にて紅葉浮水といへることを 藤原資宗朝臣

  筏士よ待てこととはむ水上はいかばかり吹くみねの嵐ぞ

時に望みて景曲の體、感情深しとなり。

47 批評の意義

 かたつ人は、聊かも他人の歌・連歌の褒貶する輩をば、をこがましき事に申しあへり。さては、ひとへに其の莚にて人の句のよしあし忘るべき事にや。

 先達語りし。さやうの好士は道にふけらぬ輩なるべし。いづれの道もおのが心にとゞまらぬわざをば、その座のみにて忘るるならひなり。

 佛法にも、論談法文古則の難陳、心地の至る方便肝要也。

 淨佛國土 教化衆生、大乘の大體也。

 法を謗じて地獄におつるさへ、恆沙の佛を供養するにもすぐれたりと。法を知る故に生死の期ありといへり。地によりて倒れ、地によりて起くるごとし。

 良藥は口に苦しといへども病を癒やす。

 木從繩材也。君從諌賢也。

 鈍劔もとげば利、瓦も磨けば玉也。

 魏文王、仁差が賢をも 黄が諌にこそ知りたまひしか。

 大臣惜祿不諌、小臣畏罪不言。

 法は無生也、縁を待ちて成る、といへり。

元より一念三祇、三祇一念、觀彼久遠、猶如今日なれば、久しき稽古もたゞいまの數寄も、邪道の心をひるがへし侍ればおなじかるべし。

 初發心時、便成正覺と説けり。

 若能轉物、即同如來と也。

稽古年をつみても、誦文法師・暗證禪師あるべし。又、ひとへに邪路に入りて、人を謗ずる輩、諸道におほかるべし。

 君子濟人爲宗、小人損物爲徳。

 浸潤之讚 膚受之愬。

48 友を選ぶべき事

 さきに尋ね侍りし。いかにも友をえらぶべき事おほかるべし。

 先賢のいへる。情けあさくあらけなく、胸の中おちしづまらぬ人には、おぼろげにも交はるべからず。麻の中の蓬なれば、つたなき心も、さすが友によりて直かるべし。もろもろの古き文にも、此の事をむねと註し侍る也。

 小人以財爲寶、君子以友爲鏡。

 君子交如水、小人交如糠。

 不直友不若早離。

 善見如蜜嘗、惡見如炎執。

 樂天は元 が詩を集めて、遺文軸々玉の聲あり。原上の土に骨は朽ちて、名は埋まず。

 菅家、御詩を集めて、筑紫より紀納言のかたへ送り給ひし。いづれも哀れ深き事ども也。

諸道に心の至れる人は、花の下の半日の客、月の前の一夜の友をも、情け深き類をば、香ばしく思ひ戀ひしのび侍るべし。達磨大師を、しなてるやかた岡山の飯にうゑてとありしも、此の國に法器のなき事にうへならひ給ふ御言葉なりといへり。清岩和尚常に語り給ひし。「雨風につけ、ひめもすに夜もすがら、和歌の友の事をのみ思ひ出で侍る」とありし。情け深し。

 

49 親句、疎句について

 此の比は親句の歌・連歌のみにて、疎句のかたは稀に侍るやらむ。

 古人語り侍りし。まことに、疎句のかたをばひとへに忘れ侍るとなり。定家卿は、「疎句にのみ秀逸はあり、親句には稀也」となむ。心の親句、姿の親句、心の疎句、姿の疎句、さまざま注し分け略之。

 親句は有相 疎句は無相。

 親句は教 疎句は禪。

 了義經 不了義經。

 世諦 第一義諦。

 有門 空門

悟りに心をかけずは、いかでか歌道の生死をはなれ侍らむ。法に、空門大悟の心をも猶有所得とおとす。されども、天台相即空門には、十界六凡四聖一相無相といへり。

 法華にも、諸法は空を座とすとなり。

 佛五十年の説法も、三十年は畢竟空を説けりとなり。

 しかはあれど、初心の時は淺きより深きに入り、至りて後は深きより淺きに出づる、是諸道の用心最用といへり。

 從因至果 從果向因。

 有相の歌道は無相法身の歌道の應用也。方便の權用おろそかに思ふべからず。

泥木の形像は大智より發し、紙墨の經卷は法界より流る。一大事因縁は小乘よりあらはる、といへり。

 されども、有所得の法を説いて人を化度するをば、三千世界の人の眼をぬくよりもとがなり、とも説けり。

 まことの歌人の心は、有にも無にも親句にも疎句にもとゞこほるべからず、佛の心地のごとくなるべしとなり。

50 至極の躰について

 此の道、十體の内にもいづれを至極たるべきや。

 いにしへ勅定にて、此の事を其の比の歌仙に御尋ねありしに、寂蓮法師・有家卿・家隆卿・雅經卿以下は、幽玄體を最尊と申されしなり。叡慮・攝政家・俊成卿・通具卿・定家卿などは、有心體を高貴至極となり。心とらけ哀れ深く、まことに胸の底より出でたる我が歌我が連歌の事なるべし。

     定家卿詠歌

  春雨よ木の葉みだれしむら時雨それもまぎるゝかたはありけり

     清岩和尚歌

  身ぞあらぬ秋の日影の日にそへてよわればつよきあさがほの花

これらの初めの五文字、まことに、人の口をかり侍らむ作者の思ひよるべきにあらず。大かたは、露寒みなどにても幽玄至極なるべきに、玄妙なり。ひとへに心地修行の歌也。

 古人語り侍る。歌の眼ある人なき人ありとなり。心源の至れる人はあるなるべし。二乘は大疑なきが故に大悟なしとなり。定家卿、詩歌の十體を分け給へるに、

  故郷有母秋風涙  旅館無人暮雨魂

  おもひ出でよ誰がかね言の末ならむ咋日の雲のあとの山風

此の二つを鬼拉體に入れ給へる、奇異の事也。なほざりの目には分別まどふべし。又、貫之、萬葉集歌二首注之、秀歌とかけり。

  日暮れたりいまかへりなむ子泣くらんその子の母もわれをまつらん

  さかがめに我が身を入れてひたさばやひじき色には骨はなるとも

これ又秀逸とは見えずや。是を定家卿も餘りなる事と申し給へり。されども必ず故あるべし。

51 心地修行について

 いかばかり堪能幽玄の好士も、心地修行おろそからむは、至りがたき道なりといへり。

いかにも道を高くおもひ幽玄をむねとして執心の人、この道の最用なるべしとなり。「いにしへより道を淺く思へるともがら、世の譽れある事一人もなし。尋常にせし好士は、必ず兩神の御罰を蒙る」などと、定家卿くはしく注し給へり。

 道因入道は、八十に及ぶまで秀歌を心にかけけて、住吉の宮に月ごとにかちはだしにて參りしとなり。

 登蓮法師は、まそほの薄の事を尋ね侍らむとて、雨の夜の明くるをまたず蓑笠かりて、渡邊に行きしとなり。其の座の人、「あわたゞしや」といへば、「人の命は明くるをまつ物か」と言ひしとなり。

 大貳高遠は、「秀歌一首詠ませて命をめされよ」と、多年住吉明神に祈りしとなり。

 智惠第一の舍利弗も信によりて得入すといへり。

 悉達太子の王位を捨ててひとり山深く入り給ひしも、發心無常の御心ざしよ

 りおこれり。終に三界の導師と成り給ひて、法界を照らし侍り。

 迦葉尊者、檀特山にこもり給ひし、一大事の心ざし深き故なり。

52 風体のさまざまなるべきことにつき

 かたつほとりの村翁牧童などは、つねの句の風體の外をば、道ならぬやうに申しあへり。

 古人の語れる。言葉などこそさも侍らめ。心・姿はさまざまなるべき道也。十體に分けたるも、おほかたは句の姿と心との事なるべし。同じ事を申す作者は、月をさすに指をのみ見るなどいひ、又、人の心言葉を取るをば、古人のつばきをなむるなどとて、先人恥ぢしめ侍り。了俊も、正直の姿のみの作者にては、歌仙の名をば得がたしとなり。されども、心を二重三重になせにはあらず、と書き給へり。淺黄・無文の白ききぬのみにては、殘りの五色は不便の事なるべし。

 佛法にも、諸宗の心・姿遥かに分れたり。一宗のみにては世あるべからずと也。

 儒・釋・道、三教わかれり。

如此諸宗まちまちなれども、源は一つなりといへり。

53 幽栖閑居を好む歌人について

 道に情け深き歌仙の中に、幽栖閑居のみ好みて常の會席にもまみえず、人の知らざる中に世に名を得たるより、もと見え侍る人、おほくありとなむ。おぼつかなし。

 古賢の語り侍る。いかにも、さやうの人の中に、まことの歌人はあるべしとなり。

 維摩居士の樹下の方丈には、文殊大聖來りて禮し給へり。

 許由は、箕山の嶺のやせたる松の下にむなしき風を聞きて、人間の夢を覺ますと也。

 顏囘は一箪一瓢のみにて草に埋もれて住めり。

 孫晨は藁席とてわらを莚にする程の者なれども賢也となり。

 介之推は終に山を出でずして果てぬれども、寒食の日は天下火を消つ。

 西行上人は身を非人になせども、かしこき世にはその名を照らす。

 鴨長明が石の床には、後鳥羽院二度御幸ありしとなり。

まことの歌仙には利も徳もあるべからず。佛の維摩居士を説き給へるごとくなるべし。

 手不執卷、常讀此經。口無言聲、遍誦衆典。

 君子憂道、小人憂貧。

此等の人は、心水の月を澄まし、歌林の花に遊び侍るべし。かやうの艶なる歌人をも、言ひくだし輕しむる輩おほく見え侍り。

 甘露反毒藥、皆在人中舌。

 神力業力に勝たずといへり。

 鷹は賢けれども烏には笑はるゝとなり。

 佛をも五千上慢は嘲り奉りしと也。

 又、ひとへに放埒を先として、身を輕くなす歌人世におほし。心を捨てたる人にまぎれ侍るべし。それはあらはに身を餝り色にそみたるには劣り侍るべし。心のうちの疵、かならず多かるべしと也。

 又、心ざしの淺き人、うへに數寄たしなみの姿見せて、心そまぬ好士、諸道に見え侍り。ことに佛道修行の人にありとなり。

 先人語り侍り。さ樣の人は言葉又作にて胸のうちあらはれ侍ると也。

 蛇は一寸を出だして其の大小をあらはし、人は一言をもて其の賢愚をしると也。

 仁者必有勇、勇者必不仁。

54 放埒の好士と法樂連歌

 放埒の人衆をあつめて故なき事をつゞしりても、佛神の法樂になるべきや。

おなじくは、道に至れる人の句にこそ納受もあるべく覺え侍れ。

 古賢の語り侍る。いかばかり未練放埒の好士にても、感應はかはるべからず。佛及び五百羅漢を請ずるよりも、極惡の比丘一人を請ずるは、無量の福を得るといへり。又、破戒盲目の妻子持ちたるをも、舍利弗・目連のごとく敬へと説けり。

 佛心者大慈悲心是也。

 六波羅蜜行にも檀波羅蜜最一也。

しかはあれど、不淨の比丘の供養したる堂塔をば禮せざれともいへり。

55 達道の人を重ずべきこと

 いかばかり道にいたる人をも、身の程なく世に知られぬをばもて出でず、ひとへにかなはぬ輩をも、代にあひ家をだに繼ぎぬれば萬人尊重する、おぼつかなし。

 尭は賢けれども、其の子は愚也。舜は賢なりしかども、父はかたくななり。

 家家にあらず、繼ぐをもて家とす。人人にあらず、知るをもて人とす。

 人能く道を弘む、道能く人を弘めず。

 君子は下に問ふ事を恥ぢず、故に達道。

 人之相は心を知るを貴しとすといへり。

 黄帝は牧童の詞をも信じ給へり。

 徳宗は農夫の諫にも隨ひ給ふとなり。

文士猶賎教にしたがふべしとなり。

 太公望は渭濱に釣りしかども、文王の車の右にのれり。

 吉備大臣は左衞門尉國勝が子なりしかども、もろこしまで其の名を照らす。

 大江時棟は馬を追へる草刈りなしとなり。

 松室仲算は非人の沙門なりしかども、宗論に八宗の頂官たり。

 阿鼻依正全極聖の自心に有り、毘盧の身土は凡下の一念をこえず、と云ふ。

56 一生涯の修行

 稽古も歌口もおなじ程の人の、後々にことのほか勝劣の見ゆるともがら多く侍るをや。

 まことに、若き程中老までも諸道に勝劣のなき人も、程なく行きぬかるゝ事、よろずの道にわたりてありとなり。道に油斷あれば、二年三年の程にも、雲泥限りに成り行く事などもあるべしと也。

 昔隆信・定長とて、歌口・稽古更に勝劣なき名を得し人も、隆信は君に仕へ、定長は寂蓮法師と名をかへて衣を墨にそめ、隙ある身に成りて、日夜此の道を修行し侍りし程に、年たけては同日の對論に及ばす。隆信申し給ひし。「われ世をはやくし侍らば名譽の名殘るべきに、長生きして名を流し侍る」と常に言ひ給へる。情けふかき言葉也。苗にして秀で、秀でて實らずといへば、用心諸道の肝要なるべしとなり。

 まことに、諸道に山口しるく行末かしこかるべきが、世を早くするおほし。本意なくうたて侍ることの最一也。

 顔囘・鯉などさへ不幸也。

 甘泉早竭 直木先折。

 再果樹枯 重荷船覆。

 よき人だにながらへ侍れば、ありのすさみある習ひなるに、長生きしてうたてき事おほく見え侍るべし。

 孔子も、「老不死賊也」といへり。

 兼好法師がいへる、「人は久しくとも四十年まで」と書きぬる、はづかしき詞也。

 中比、頓阿・慶運法師とて歌人あり。慶運は身の程や不肖なりけむ。毎々述懷をのみせしとなり。新千載集に四首入れられ侍るとて、撰者を九拜して涙をながし喜び侍りしに、頓阿が歌十餘首入りぬると聞きて、後日にわが歌を切り出だし侍るとなり。頓阿は世にあへる歌人なるにや。「虎鼠時による」といへば、「用ゐる時は鼠も虎のごとくなり。用ゐざる世には虎も鼠なり」といへば、不肖のともがらは遥かに光曇り侍るべし。

 慶運法師今はの時、年來の詠草抄物、住みなれし東山藤もとの草庵のしりへに、みな埋み捨て侍ると也。道に恨みを殘し侍るも情け深き事也。又、能因法師、古曾部といへる所にて身まかりける、彼の所に日來の詠草ども埋み侍ると也。此等の人、後の世の歌人をくたしたるなるべし。あはれ深き事どもなりといへり。

 人間毀譽非善惡、 世上用捨在貧福。

57 道に達することの難しさについて

 さまざまの好士世にみち侍れども、思ひ至れる人は少なくや侍らむ。

 先入語り侍りし。此の道に堪へたる人、わづかに一人二人と昔だに書き侍れば、まことにありがたかるべし。仰げばいよいよ高く、きれば彌々かたき道也。されば、念々の修行の劫なくては、至りがたき堺也と云ふ。

 千里は足下より始まり、高山は微塵より起こる。

 佛法にも敗壞の無常とて、此の身の破れ失せんことを二乘も悟り知れども、念々の無常とて、物ごとにふれて忘れざるは、菩薩大悟の位なり。念々の修行の歌人、おぼろげにもあるべからず。

 迷へる者は牛毛のごとし、知る人は麟角のごとしとなり。

 楚國にも屈原ひとりこそ覺めたりといひしか。

 尭舜なほ病ありしといへり。

 佛の正法眼藏・涅槃妙心の所をも、迦葉ひとりこそ破顔微咲し給ひしか。まことに單傳・蜜印・不立文字の道なるべし。

58 相資相反について

 歌道にいれる人の、さまざまの能藝を混合して稽古ある輩、おほく見え侍り。よろしき事にて侍るやらん。

 古賢の語り侍りし。諸道に眞實の賢出の人は、よの能藝あるべからずといへり。されども、諸道に相資相反とて、混合して宜しきもあり。惡しきもあるべしとなり。學問・佛道修行・手跡などは、歌道に相資の道なるべし。又、碁・將碁・雙六など博奕の類は、相資のつれなるべし。又、樂器の絃管のさまざまの類は、舞・音曲に相資の道なるべし。又、鞠・相撲・兵法などは同じ道也。歌道・佛法・學問に、圍碁・雙六・相撲などは相反とて、大に惡しきたぐひなり。古人も、大國にも獨歩の人とのみ言ひて、まことには、一藝一能をのみ修行稽古とゞけたらむ輩、道の鏡にもなり、世の名譽はあるべしと先達語り侍り。

59 この頃の歌席の猥雑さ

 此の比、世の中に歌道に入らぬ人なし。ことに盛りなる時なるぞや。

 先達語り侍る。階級みだれ互ひにのゝしりあひ、猥雜したるありさま、一座のさわがしさ、早出退散を事としてあはあはしき、七歩の才・八疋の駒に鞭をそへたるけしきにて、まことに道の賢聖ほしくこそ見え侍れ。

 猛獸山にある時は、毒蟲これが爲におこらず。賢聖世にある時は、奸曲の者なしとなり。

 鷹ぼこの鷹いねぶる時、鳥雀かまびすしといへり。

 する事の難きにあらず、行ずる事のかたき也。行ずる事の難きにあらず、よくする事の難きなりと云ふ。

 佛滅後、雜法・末法の時、堂塔佛像道の邊におほかるべし。これ法滅の時なりといへり。

 しかはあれど、世もくだり人の性も昔には劣り侍れば、今の世に、形ばかりも此の道に心ざしあらむ輩は、情け深きなるべし。

 佛なき世には羅漢を佛のごとくし、羅漢なき世には破戒無智の僧形をたつとむといへり。

 金銀なき國には鉛・銅をも寶とすといへり。

 歌道も佛教のごとく、先哲の教へ明らかなれども、心ざし淺き人は至らぬ道也。たゞ機根の生熟によるとなり。代々集の火、天澤わたくしなけれども、好士のなま木にはつく事なしと也。佛教をも、「久しく發心する者信受す」といへり。

 雖眼見、不能心持、氷にちりばめ、水に繪がくごとしといへり。

 耆婆・扁鵲が良藥も、教へのごとく養生なき人の病をばいやさずとなり。

 佛法をも歌道をも、心の至らぬ輩には、たゞ其の人の心の至るまゝに示せ、

ともいへり。されば、父賢けれども、その子はおろかに、師骨を得たれども、弟子又續ぐことなし。齊の桓公の文を、車作りの翁難ぜしがごとく也。佛も隨機・逗機などとて、人の心に隨ひてさま※※に説きかへ給へると也。

 止々不須説、我法妙難思といへり。

 鴨の足は短けれども續げばうれふるなり、鶴の足は長けれども切ればいたむといふ。

 方便の愚は正、無方便の智は邪、といへり。

 又、冷泉の中納言爲秀卿教へ給へると也。にぶく眠りめなる歌人には、かけりたるかたを學べと、又行き過ぎたる心の人には、のどやかにさしのびて、と示し給ひしと也。これも賢き庭訓なるべし。

 聖人には心なし、人の心を心とす。

 聖人には言葉なし、人の言葉を言葉とす。

 但、以假名字、引導於衆生。

 歌・連歌も佛の三身のごとく、法・報・應の三身、空・假・中の三諦の姿の句あるべし

 うちむきて理聞こえ侍らんは、應身の當分の句なるべし。五體・六根を現はし給ふ佛なる故に、いかばかり愚鈍の好士も悟り侍るべし。心をめぐらし巧みなる句は、報身の佛の當分なるべし。人の機を待ちて、ある時は現はれある時はかくれたまへば、智惠分別の輩ならでは知るべからず。理すくなく幽遠にけだかき句は、法身の當分なるべし。智惠にても稽古にても至りがたかるべし。されども、修行工夫たけたる其の人の眼には明らかなるべしとなり。中道實相の心にあひかなへるとなり。

60 至極の歌連歌について

 佛法を修行して眞の佛を尋ね知らむにも、歌道を工夫して明らかなる所を悟らむも、いかなる形をまことの佛、いづれの姿を至極の歌・連歌と定め侍らむ心は、おろかなるべくや。

 まことの佛まことの歌とて、定まれる姿あるべからず。たゞ時により事に應じて、感情徳を現はすべしとなり。天地の森羅萬象を現じ、法身の佛の無量無邊の形に變じ給ふごとくの胸のうちなるべし。是を等流身の佛と云ふ。又、其の法身の佛、等流の身の如來にも、まことの形あるべからず。たゞ一つ所にとどこほらぬ作者のみ正見なるべしとなり。されば、古人に、「いかなるかこれ佛」と問ひしに、「庭前柏樹子」と答ふ。此の旨をその弟子に尋ね侍れば、「わが師にこの言葉なし。師を謗ずる事なかれ」といふ。

 森羅萬象即法身 是故我禮一切塵。

 佛法も、智門はたかく悲門は下れる妙なるごとく、歌道も悲門の好士あるべし。念佛などの當分なるべし。ひとへに無智愚鈍の極重の輩のため也。稽古修行の方をば忘れ、舌の上にて日夜名號を唱へたるを、至極と思へる類なるべし。

智門は天台・禪法なるべし。悲門の下れるも、眞實のところの變はるべきにはあらず。たとへば、寒き夜に綾錦を著たるも、麻のつゞりを重ねたるも、寒風を忘るゝ所はおなじ。いね入りて後は變はるべからず。

 西方淨土無爲樂 畢竟逍遥離有無。

さま※※の是非妄想の浪風をたてぬる心は第八識までなり。十識の心にいたりては、善惡の分別に動くべからず。幻化の智をおこして幻妄を除いて後、境智ともに幻にもあらずと也。たゞ無縁の慈悲をおこして、無相の境を縁ずるのみなるべし。

61 十徳について

 古人の語り侍りし。十の徳そなへざらむ人は、まことに明聖にはなりがたしとなり。

 利性 堪能 稽古 修行 道心 手跡 明師 閑人 老年 身の程

げにも、これらを洩らさず備へたる人、おぼろげにもありがたし。されば、賢人は五百年に一度出で、聖人は千歳に一度あへりと云ふ。大國にもわが朝にも、道の賢人に生まれあへる事かたしといへり。

62 歌道七賊

佛法にも法の財法の賊を七つづつあげ侍り。さては歌道にもあるべき事也。いかが。

     佛法器七寶

 信 戒 慙 懺 多聞 智惠 捨離

     歌道七賊

 大酒 睡眠 雜談 徳人 無數寄 早口 證得

63 跋文

 此の兩帖之麁言、まことに跡なし事ども也。眞實の歌道は太虚のごとくなるべし。餘るもなく缺けたる事もなかるべし。人々個々圓成のうへなり。もとより證は他によらずと也。大道すたれて仁義あり、大智いでて大僞のみなり。

迷前是非者是非共非也。覺前有無者有皆無也。

 諸法實相之外餘、皆魔事也。

 諸苦所因貧欲爲本、則破すべし。

                     作者 十住心院心敬

 

                     テキスト

木藤才蔵著 「ささめごとの研究」臨川書店 1990 所収の天理図書館蔵本を底本としました。

さめごとのテキストは基本的に二つの系統があります。ひとつは江戸時代に出版された「版本」系のテキスト、もう一つは群書類従に収録されたテキストです。それぞれ異本があり、本文を確定するためには文献学的な慎重さが求められます。ここでは、版本系のテキストから、天理本を底本として、「ささめごと」を読んでいくことにします。岩波文庫に収録されている「中世歌論集」(久松潜一編)のテキストは、版本系なので、それとほぼ同じですが、若干の箇所でそれに従っていません。他に、小学館の「日本古典文学全集」所収の「連歌論集」(1973)に伊地知鐵男氏の校訂で「ささめごと」がありますが、これは類従本系で、かなりテキストが異なります。

テキストの違いは、おそらく心敬が晩年になってから、ささめごとを改訂しようとして果たせなかったことからくるものと推定されますが、どちらのテキストも基本的には心敬の思想を伝えるものと考えられますから、両者をともに考察することが必要です。

『ささめごと』のテキストに関する資料

(一)版本系
1 元禄三年版本 上下二冊

このテキストは岩波文庫「中世歌論集」に、栗山宇兵衛開版本として翻刻されている。

2 内閣文庫本 上下一冊 江戸時代中期の写本
版本と同じく情感に欠落二箇所あり。

3 静嘉堂文庫本 上下一冊 松井博士旧蔵本
奥に連歌二五徳をかかげ、(里村?)昌億の朱書で元禄三年栗山宇兵衛開版本と対校してある。この本の下巻は、あとにあげる苔筵本と同一系統で、他の諸本の下巻とは異なる。

4 日本歌学大系本 室町時代古写本
日本歌学大系第五巻に「心敬私語」として載せてあるもの。
この本も静嘉堂文庫本も、上巻巻末に奥書があり、その後と下巻の巻末に

 文名七年九月一五日   宗祇

とあるので、宗祇の所持していた本を書写したものと思われる。

5  山岸文庫本  上下一冊
6  久松本    上下一冊 久松博士蔵
7  神宮文庫本  上下一冊 
8  彰考館本   上下一冊
9  尊経閣文庫本 上下二刷  室町時代の古写本
10 天理図書館本 旧佐々木信綱博士所蔵本

11 連歌鈔本 上一冊 七海平吉氏蔵
「心敬自撰自筆」と記してある本。奥書なし。室町期をくだらない写本。
12 太田本 上一冊  太田武夫氏蔵
13 苔筵本 下一冊  神宮文庫所蔵
上巻には「老のくりごと」「心敬僧都十躰和歌」を収める。

(二)群書類従本とおなじ系統のもの

14 群書類従本 上下二冊

群書類従巻304に収録
下巻の奥書には、心敬自筆本を写したとある。

15 国立上野図書館本 上下一冊