桃李歌壇 主宰の部屋

T.S.エリオットについて

その1 ーイマジズムと俳諧−

  「エリオットと俳諧」などというと、なんだか登場人物が皆、江戸時代の丁髷を結っているシェークスピア劇みたいな印象を与えてしまうかもしれません。ただ、蜷川さんみたいに、こういう時代錯誤かつ文化背景無視の演出を敢えてやるのが、ぼくのいう俳諧的精神のひとつのあらわれです。(エリオットご本人も、若い頃盛んに試みた手法のひとつかもしれない)

ただ、そういう手法の面白さだけでなくて、エリオットは昔から気になっていた人物です。第一、彼はもともと哲学をやった人で、ブラドレーという形而上学者について学位論文を書き、ダンのような形而上詩人(これは、日本で言えば一休禅師の漢詩みたなもの)の価値を再発見したひと。

英米圏では、第一次大戦後は、感覚的な現象主義や、実証主義、分析哲学が主流になり、エリオットが興味をもったブラドレーなどの形而上学には誰も眼を向けなくなる。彼が哲学を続けたとしても大した仕事はできなかったでしょう。

哲学から詩の批評と創作に転じたとき、やはりエズラ・パウンドとの出逢いが
大きかったようですね。

パウンドは、イマジズムの立場を打ち出しますが、それには日本の俳句が影響
しました。説明抜きに二つのイメージを配合する(super-pose)無韻の短詩は、
当時の人にとっては、非常に前衛的な「詩の作法」だったのです。パウンドは、

     The fallen blossam flies back to its branch:A batterfly.
               (落花枝にかへるとみれば胡蝶かな)

という守武の句は天啓のようなものだったといっています。この句は英語に訳され、その土壌に蒔かれたときにイマジズムという(当時の)現代詩として甦ったのです。

もっとも、イマジズムの詩人が感心した句は、日本で名句とされるものでは必ずしもなかった。こういうことは、翻訳を通して読むから、どうしても避けがたいでしょう。私の見るところでは、パウンドは、個々の俳句の素晴らしさというよりは、
むしろ、俳句というジャンルのなかにある「詩の作法」に惹かれたと言うべきでしょう。

俳句は日本では伝統的な定型詩のひとつですが、haiku はイマジストの詩人には「前衛的な自由詩の作法」として受容された−これを僕は非常に面白い現象と思っています。

エリオットの場合は、俳句のような短詩ではなく、非常に長い詩や詩劇を書いていますね。しかも、ソクラテス以前の哲学者のように、詩とも哲学とも宗教ともつかない、作品がたくさんある。僕は個人的には、こういう作品群に惹かれますが
花鳥諷詠などとはおよそ縁のないテーマを扱っているわけだから、そのどこが俳句的かと思われるかも知れませんね。

そこで、「俳句」という近代以後の言葉ではなく、もっと広い意味の拡がりを持つ「俳諧」という言葉を使うことにしましょう。そうでないと、これからの話はしづらくなりますから。